カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

BtUB、マップの作成

マップの作成中。

メインシステムが文字通り旧世代なのでマップのデータも

数列で入力しなければならず予めノートにマップを書いて

それを元にマップデータを作っている。

 

数日前までは部屋と部屋を仕切る扉の仕様を完成させるのに

時間を食ってしまっていた・・・単純な指定間違いだったのだが

部屋ごとに鍵が必要な扉や敵を倒す事で開く扉、袋小路など、

部屋同士の繋がりを作らねばならず、それらも個別に数列にして

予め用意しておかなければならない。

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※ネタバレ有り、注意

もし依頼を受けて作っていてクライアントにこんなのを持っていったら

はっ倒されるだろう。

でもゲームを作るってのは元々そんな単調な入力作業の繰り返しで

ごく当たり前の事だと思っている。

 

ゲームを作りたい・・・そんな風にただ憧れていただけだった頃は

マイコンベーシックマガジンの投稿プログラムのリスト中にある

テキストで保存されているマップデータなどをぼんやり眺めながら

ゲーム中の画面を見ているだけでは解らない秘密の謎にちょっとだけ

触れたような気分になって、ワクワクしていた。

 

今、自分はマップを書いている。

 

なんて面倒な作業なのだ、なんて馬鹿馬鹿しい無駄な作業なのだ、

そう・・・思う。

 

でもそれをやれば、仕様の通りにゲームが動く。

自分で設計したシステムが正常に機能するのを見ると、この仕組みには

恐らくはもっとスマートな方法が存在していて本当の意味で無駄なのだが

しかし形にはなっていて構造体の全体を見渡した時に迫力を感じる。

 

これを自己満足と見るか、レガシー需要に応えんとするサービス精神と

見るか、それは皆さんの判断に任せるが、多分自己満足だ。

 

これがもしシンプルなシューティングゲームだったなら、

もうとっくにプロトタイプが完成して遊べている頃合だが

ダンジョン物だから仕方が無い。

 

自分は技術者としては最低段位。だがアイデアでなら通用する場面も

あると思っている。

 

まだまだ地味で無駄な時間は続く。だがしかしこれは修行ではない。

先人の通ったごく当たり前の道なのだと思っている。

ポケモン ソード・シールドの受難

ポケットモンスター ソード・シ-ルドが炎上しているらしい。

ポケモンは第一作目を発売から大分経ったころに中盤くらいまで

プレイした程度なので知識も思い入れも殆どない。

 

ポケモンの北米版が出た時にこのゲームが日本でヒットした事を

意外に感じていたので流石に海外ではウケないのではないかと

思ったが、結果は皆さんの知るとおり。

アニメも大人気となり『ポケモン』は世界共通語になった。

 

そんなポケモンもシリーズ重ねて8作目、しかも今回から携帯機

専用のタイトルとしてではなく、据え置き機としても使える

switch専用ソフトとなって帰ってきた。


【公式】『ポケットモンスター ソード・シールド』 紹介映像

 

つまりポケモン本編が遂にテレビ画面で遊べるようになったのである。

(旧作のバーチャルコンソール版は一先ず置いといて・・・)

 

さて、そんなポケモン ソード・シールドの、何が今問題となって

いるのだろうか?

 

自分はポケモンの情報をチェックしていなかったので今さっき

知ったのだが・・・新作には登場しない、連れて行く事も出来ない

ポケモンが居るのだそうだ。

 

「そうか、ならば対戦時にはソード・シールドに登場するポケモン

だけで戦略を練らなければならないな、今回はこれまでとは違った

プレイスタイルになりそうだぞ・・・これは楽しみだ!!」

 

とはならなかったようだ。

「お気に入りの"いつもの"ポケモンを連れて行けないなんて悲しい」

「あのポケモンがいないと百戦錬磨のあの戦術が成り立たない」

「フルプライスのゲームなのに前作より目減りしてるなんて許せない」

 

・・・怒りや悲しみ、様々な不満もあるだろうけれど、ファンの望む

理想像のままにswitchで新作をリリースするなんて事は正直不可能だ。

 

3DSの時でも相当無理してるだろうなと思っていたくらいなので、

switchであの規模のものを・・・しかも新要素や新ポケモンも追加し

同じ値段で、しかも同じくらいの開発期間で完成させるなんて、

どう考えても無理だ。多分価格を3倍くらいに設定しない限り無理だ。

 

だからこのような事でこんなに簡単に炎上するのであれば、

正直もうシリーズは続けられないのではないだろうか?

 

任天堂は相当儲けているんだろうからこの程度はファンに奉仕しろと

そう思っているのかもしれないが、まあ無理だ。

 

スマブラで過去キャラが全て出るなんてのとは到底比較出来ない。

他にもグラフィックスが良くない、今時フルボイスではない、

新システムが気に入らないなど不満に感じる部分があるようだ。

 

新システムはともかく、皆さんがお店で払うお金の分の価値は

確実にある筈で、これ以上を望むとなると子供のお小遣いで

買えるような商品ではなくなってしまうだろう。

 

だからと言ってシリーズのファンが納得するかと言うと・・・

多分納得しないだろうとも思う。八方塞だ。

 

では3DSだったら全てのポケモンが登場する新作を発売出来たのか

と言うと、それも難しかったのではないかと思う。

 

前作のエンジンをそのまま流用したとしても絶対的な物量増には

抗いきれないだろう。いつかどこかでこうするしかなかったのだ。

そのタイミングとして据え置き機としても使えるswitchでの新作を

選んだというだけなのではないだろうか?

 

今回の騒動がいつ、どのような形で収束するのか、全く分らない。

ただ一つ言えるのは新作登場の度にキャラがどんどん増えて

内容もどんどん豪華になる、値段据え置きで内容量が増し続ける

商品なんて存在し得ない。

 

にも拘らずそれを大多数のユーザーが望み続けるとしたら、

多くのファンを抱える事はいつしかリスクとも成り得る・・・

と言うことかもしれない。

 

人の欲望は留まるところを知らない。

欲を煽り続ければいずれ欲に滅ぼされる。

 

と言うことかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

ぺこんぽぺこんぽ。厳しい時代だ。

アナと雪の女王

テレビで『アナと雪の女王』を放送していたので見ていた。

 

アナ雪、2013年の劇場公開時に大ブレイクしたものの、

そう言えばこの映画一度も見ていなかったのだ。 


アナと雪の女王/予告編|ディズニーデラックスで配信中!

 

ストーリーは・・・今更書く必要もないだろうが一応説明すれば

主人公アナとエルサがなんかわーってなるお話だ。

 

映像は今見ても美しく、当時大ヒットしたのも頷ける。

ただこの映画の一番の人気シーン、エルサが様々な縛りから

開放されるシーンに関しては思い描いていたイメージとは

全く違っていた。

 

遥かもろこしの方から聞こえてきた話によれば、

このシーンはエルサが生まれ持ったしがらみから抜け出し、

一人の人間として始めて地に足をつける・・・

「ありのままの自分」を受け入れ自立していくなどと言う

希望と輝きに満ちたものであったが、

自分が感じたのはむしろ深い悲しみだった。

 

アナと王国を守るため自分を殺し全てを閉ざしてきたエルサは

あのシーンでは一見解放されたように見えるが、

そもそもエルサ自身(両親の遺志)が望んだ事であり

アナを傷つける事、拒絶する事、そして民を裏切り国から

出て行くことはエルサ自身の心を最も傷つけたはず。

 

だからあのシーンは顔は笑っていたが心は泣いていて、

意気揚々と歌い上げる様は逆にひどく悲しいものに見えた。

 

その後のシーンは・・・まあ取り立てて思うところはない。

ディズニー映画なので観客を裏切るような展開がある筈もなく

全てはきっちりと解決しハッピーエンドを迎える。

 

テーマに沿っており満足出来る内容だったがエルサにとっては

何処か影を残した気もする。続編を意識しての事だろうか?

何となく悲しみの感情が拭い切れない・・・のであったが、

 

その後孤独のグルメを見て一瞬で感情がリセットされた。

笑顔・・・いい。

 

幸せそうな人を見ると自分も嬉しい気分になる。

勿論あれはお芝居だが実際に食事もしているので表情は本物だろう。

 

そう言えばアナと雪の女王では意外と幸せそうなシーンが少なかった。

(序盤のアナとエルサのシーン、アナとハンスのシーンは結局覆されるし)

 

悲しみの感情がリセットされなかったのはアナとエルサが

幸せに暮らしていた頃の描写が殆ど無いからだろう。

 

そのクールさはクライマックスの盛り上がりを引き出す為に

意図的に用意されたものだと思うが幸せだった頃の二人のシーンは

もっと沢山あっても良かったのではないかとも思った。

 

そんな感じ。

運ぶゲームをやってみたい

11月8日に発売となった小島プロダクションズの新作、

『デス・ストランディング』、

配信者のプレイをネットで見ているのだがめちゃめちゃ面白そう。


『DEATH STRANDING』ローンチトレーラー 4K

今の段階で把握しているのはノーマン・リーダス演じる主人公のサムを

転ばないように上手に操作しながら荷物をお届けするゲーム・・・

と言ったところで、この「転ばないように」と言う辺りはサムの持つ

特殊装備の一つBBと通じるものがある様な気がする。

 

最初はよちよち歩きだった赤ん坊が徐々にしっかりと

大地を踏みしめるようになり、やがて独り立ちしていく。

 

世界は謎のなんちゃららによって分断されており、なんか危ない。

そのなんだか判らない危ない荒涼とした世界に少しずつ結びつきを

もたらし何となく希望を感じさせる・・・みたいななんかの。

 

もの凄くやってみたいんだけど

今はちょっとそれが叶う状況ではないので後で購入し遊んでみようと思う。

 

ゲームはオンラインで結ばれていて他のプレイヤーの作った建造物などを

共有する構造になっているので、遅れて入ればあらかた工事は終わっている

かもしれず、このゲームのテーマを十分に体験出来ないかもしれないのだが

そこは小島監督のことだから何か用意しているに違いない。

なので特に心配はしていない。いつ始めようと面白いに決まっている。

 

 

もう一つ気になっている運ぶゲームがある。

同日配信開始となったTarsier Studios開発のストレッチャーズだ。


ストレッチャーズ 紹介映像

ストレッチャーズはなんと言うかヒューマンフラットフォールから

ぐにゃぐにゃを引いてバーニングレンジャーズを足したような感じ

・・・まあ全然違うのだが、『運ぶ』事をキーアクションとしている辺りは

デス・ストランディングとも相通ずるのだが、まあ真逆のゲームである。

 

レスキューカーで現場に急行しストレッチャー(担架)で怪我人を運ぶのだが

このゲームでも怪我人を落とさないように上手に運ばなければならず、

その辺のおっとっと感を味わうのが今秋のブームなのかもしれない。

 

同じ運ぶにしても方や世界の『分断』、方や2Pとの『協力』。

同じ日に似たコンセプトを扱いながらも全く逆のアプローチをした

ゲームが発売されるだなんて不思議な引力を感じずにはいられない。

どちらも凄く面白そう。

 

 

※追記。amazonでカスタマーレビューをチェックしたら概ね好評だが

否定的レビューも結構付いていた。その事自体は別に悪くない。

個人の感想がどうだかなんて一々突っついていても仕方が無い。

ただ表示順上位にネガティブレビューばかり並ぶのはどうなのかと思う。

 

ゲームの評価自体は5点満点中、平均で3.5点くらいの星となっているが

高評価レビューが一番多いのに支持が集まっているのは低評価のほう。

普通に考えたら・・・変だ。

『役に立った』のボタンは購入者でなくても投票する事が出来るので

購入しなかったユーザーが「敢えて」押しているのだろうと思う。

 

商品購入者が「面白い・気に入った」としてレビューを付けているのに

ネガティブな方に(低評価にはamazonの購入者ではないレビューも多い)

『役に立った』が集まるのは重ね重ね・・・変だ。

 

「僕らは皆アンチですよ」と言う自己アピールなのだろうか?

低評価を参考に買わなくて済む理由を探すよりも

「買うつもりはまるでないが楽しそうだな」と高評価レビューに

『役に立った』投票をするくらいの懐の深さがほしい。

 

他のストアやダウンロードで購入したユーザーが低評価を付ける為に

大挙して押し寄せている・・・としたら、それはそれで変だ。

 

一度、amazonにカスタマーレビューの必要性と今後の運用について

問い合わせてみようかな・・・

 

実際の商品とユーザーの評価がかけ離れているケースが散見されて

買い物の際にまるで参考にならなかったとしたらユーザーにとって

そのレビューが表示されること自体が害となってしまう。

 

腹の立つ瞬間

・・・もしかしたらキミはもう知っているかもしれないが、

自分はゲームに強い関心がある。

 

だからゲームに関するwebページを良く見たり、

時にゲームに関する調べ物をしていてゲームに関連する

キーワードを使って検索したりすることが間々ある。

 

するとそれをgoogleなどが収集し、

「このユーザーはこう言った事に関心を抱いている」

などと言うデータを利用規約に沿った範囲で広告会社などに

提供しているのだと思う。

 

だから自分がwebページを開くと画面の右側などに

オンラインゲームなどの広告が頻繁に表示されるのだが、

・・・非常に迷惑だ。

 

自分はオンラインゲームなんてやらないし、こう言っちゃ何だが

まるで関心もない。

 

なのに「あなたはこういった単語をよく検索していますね?」

「更にはこのようなサイトを利用しているでしょう?」

「だとすればズバリ、あなたにおススメのサービスはこれです!!」

 

いや全然違うじゃねぇか!?

 

自分が興味のあるもの、自分の趣味に合致したものを

ピックアップしてくれるならばまだいい。

 

なんでたった一側面だけを見て俺の趣味とまったく合わない物を

ドヤ顔で持ってきやがるんだ!?

 

何もこれはオンラインゲームの広告に限った話では無い。

通販サイトで調理器具のページを開けば女性向け下着の広告を

表示したりお洒落なインテリアをチェックしただけで複合広告に

アダルトグッズが表示されたり、正直このAI短絡過ぎるんじゃないの?

それか中身人間でオッサンなんじゃないのか?

 

ビッグデータに基づき、あなたの求めるものはこれですね」と

キレイに決め付けされると馬鹿にされてる様な気さえしてくる。

 

利用者は自分だ。にも拘らず何故AIが他人の趣味嗜好を決める?

そもそも頼んでもいないのに?

 

検索ワードや利用しているページ程度で俺の何たるかが解るなど

思い上がりが過ぎる。底が浅いぞAI!!

 

広告を表示しないわけには行かないのならば、せめてこちら側から

表示する広告を選択できるようにならないものなのか?

 

webページによっては特定の広告を停止出来るものもあるが

全てのサイトが対応しているわけではない。

 

どうあっても広告を表示するというならば「表示してもいいカテゴリ」を

予め選んでから広告表示を開始するようにして貰いたいものだ。

 

仕方が無いので時々興味の無い無難な広告をクリックして

アルゴリズムを中和しているがその効果は短期的なものでしかない。

 

結局・・・前と同じ広告を表示し始めるのだ。

俺のことが何も解っていないなら、もう帰ってくれないか?web広告よ。

BtUBスクロールテスト

現在開発中の試作ゲームBtUBのスクロール制御が出来てきたので

動画を録って見た。

 


BtUB(仮題) スクロールテスト

 

レガシスのゲームの殆どはmmf2/cf2.5標準のスクロール機能を

用いずに作られており、今回も例に漏れずスクロールは自作。

但し今回は4方向画面切り替え式スクロールなので今までの様に

画面のどちらか一方向にスクロールし続ける処理と同じ方式では

対応出来ないので整うまでに若干苦労した。

 

ゲームは所謂ゼルダタイプの構成でダンジョンを探索しながら

仕掛けを解いたり敵と戦ったりしつつ、下層を目指すと言うもの。

 

敵はまだ作っていないので今回はあくまでもスクロールのテスト。

ゼルダタイプと言いつつもインベントリを開いて装備を交換したり

回復アイテムを使ったりは盛り込まない。

・・・どちらかと言うとスマッシュTVの方が近いかもしれない。

 

まだまだ基礎の基礎を整備している段階でこのゲームの肝となる

システムも敵が出ないので実戦ではテスト出来ていない。

 

面白いのかどうかもまだ解らないしアルファ版が完成するのかすら

全く分らない。

分らないけれど、全てのアイデアを検証するまでは作り続ける。

原動力は好奇心。面白いのかそうでないのか、知りたいのはそれだけさ。

極論はぶっちゃけていない

もう冬ね・・・と言った感じで隙間風に揺れるカレンダーは早くも11月。

 

最近インターネット上には強い口調の個人の投稿が乱れ飛んでいる。

以前であればそう言った言葉は誰かがたしなめて直ぐに収束していたが

最近は強い言葉には強い言葉をぶつけて相殺・・・相殺出来ていません!

みたいな感じで互いに除去出来ない劇物を撒き散らし合っているような

状態が続いているように思える。

 

ユーモアに富んだやり取りならば「毒」が混じっても何てことは無い。

その毒は見せかけだと解っているからだ。実に穏やかなものだ。

 

でも口から唾が飛ぶほどの剣幕ならば見せかけもクソもない。

それは本物の「劇薬」であるかもしれないと常に警戒してかからねば

ならないだろう。

 

ユーモアある「毒」と真贋の判らない「毒」とは何が違うだろうか?

それは・・・その毒が『誰に向けられているのか』であるだろう。

 

ユーモアは自分と相手と更にギャラリーが存在してこそ、機能する。

自分と相手の二人きりでも機能しない事は無いがこの場合のユーモアは

「毒」である。ここで毒を吐けば・・・関係が拗れても仕方が無い。

 

対してギャラリーがいる場合の「毒」は誰に向けられたものでもない。

自分も相手もそしてギャラリーも、それが「冗談」だと解るだろう。

(冗談と解っていても許せない、と言う場合もあるだろうけどね)

 

つまり毒を=「強い言葉」と言い換えると、強い言葉は互いに信頼が

あって始めてキャッチ出来ると言う事だ。

 

この人は自分に対し冗談をよく言う・・・と解っていればキツイ言葉も

「またいつものアレだな」と流す事が出来る。

(勿論乗って言ってもいい)

 

あの人はその人に対してよく酷い事を言うけれどそれは本心ではないと

解っていれば「まあまあいつもの事だから」・・・と笑っていられる。

 

もし相手に対し、或いは相手が自分に対し、信頼を感じていなかったなら

「毒」は文字通り「毒」でしかないかもしれない。

 

信頼出来る・出来ないの判断は相手を知っている前提でしか成り立たない。

 

相手の事を知らない・・・つまり縁も所縁もない赤の他人、

そんな人と強い言葉をぶつけ合えばどうなるかなんて考えるまでもない。

 

インターネット上で向かい合っている"その人"とは多少の縁があって

袖触れ合ったのかもしれないが、その人と面識がありよく知っているのか?

互いに知っていたとして関係は良好なのか?

強い言葉をぶつける前によく考えてみて欲しい。

 

強い言葉の内には極論も見受けられる。極論は白か黒かで決める2ビットだ。

そこに議論の余地は無い。何故なら答えは最初から決まっているからだ。

白っぽければ白。黒っぽければ黒。グレーなんて無い。

 

一昔前「ぶっちゃけ」と言うフレーズが流行っていたが最近あまり聞かれない。

自分は何故だか好んで使うのだが、ぶっちゃけ・・・「ぶっちゃけ」って

思うほどぶっちゃけて無くね?

 

「ぶっちゃけ」は結論ありきで語りつつも想像の余地を残している。

(個人の感想です)

 

つまりある程度相手にも判断を委ねていて、ある意味『玉虫色』の状態だ。

 インターネットは人と人を結びつけるツールであったから玉虫色の回答は

時に必要不可欠だったと思う。YESかNOかでは参加へのハードルが高過ぎる。

曖昧さが許容され、牧歌的とも言えたネットの自由時代は何時か厳しい追及に

満ち溢れ、今や対立を生むツールへと変わってしまったようだ。

 

対立は今一番アツいコンテンツ。

 

何故かと言うとその状態に「旨味」を感じる者がいるからである。

より旨味を引き出す為には曖昧さが邪魔となる。 そこで生きるのが極論だ。

 

ぶっちゃけ・・・極論とは永遠に交わる事のない平行線上にて互いに毒を

撒きあう悲しいコミュニケーションなのかもしれない。

(感じ方には個人差があります)

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極論はぶっちゃけていない