カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

しくじり先生 メガドライブ回

12月16日1時15分より放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!

今回はなんと、我らがセガ、神が作りしメガドライブの回であった。

 

地上波での放送の後にabemaTVでも期間限定で無料放送されている。

セガを贔屓にしていながらもまだ見ていない方はそちらで是非。

 

地上波での放送はカットの入った編集版で駆け足の為か若干おふざけの

過ぎる印象だったが、abemaでの完全版は細かいネタやフォローなども

挟みつつの落ち着いた印象(アクティベーターの実機プレイなど貴重な

映像も含み、マニア的視点からも楽しめる)。

 

自分はしくじり先生はあまり見ていないので進行なども馴染みが浅く、

オードリー若林のツッコミに多少イラつく場面もあったが内容は

往々にして納得のいくものであった。

(実はカズレーザーは個人的にあまり好きではないのだが今回の番組で

高感度が上がった・・・基本、芸が投げっぱの所があるんだよね)

 

とは言え『メガドラタワーありき』の内容で、

セガは周囲が見えておらずその結果強化パーツを増設しただけの

醜くてコスパも使い勝手も悪い継ぎ接ぎマシンを作ってしまった」

・・・とも取れるような構成には引っかかる部分もあった。

 

まあ、番組はセガ全面協力によるものなのでこの辺の構成も含め、

セガの意向に沿ったものなのだろう。

 

つまり『メガドラタワーありき』は「メガドラタワー買え」であり、

要は「メガドライブミニ絶賛発売中!話題のタワーもあります!!」

と言うPR番組なわけで、案外在庫が残っててその施策なのかもなど、

邪推してしまったり。

 

番組では第2弾としてドリームキャスト編も予告されていたので

メガドライブミニが更に沢山売れれば『ドリキャスミニ』の商品化も

夢ではないのかもしれない。

 

メガドライブを愛して止まない方は勿論、メガドライブの存在を

知りもしなかったような方々にも『メガドライブミニ』はおススメです。

 

今回は「しくじり先生メガドラ編に大満足でした」・・・と言う回。


カズレーザーがセガの「メガドライブ」を徹底解説!|しくじり先生|地上波・AbemaTVで放送中

週間少年ジャンプ

果たして自分と同じ年齢で毎週少年ジャンプを購入している人間は

少数派だろうか?

 

(あなたの年齢なんて知らないよ、何?誰?おじいさん?www)

 

恐らく購入層の半分以上は『少年』ではなく、ギリ『青年』の

範疇に有る人達で、そして中年以上の人達も結構多いと見ている。

 

読者の男女の割合も実は半々くらいなのでは無いだろうか?

 

(かつての聖闘士星矢キャプテン翼の一大ブームを思い起こせば

分るかもしれないが少年誌を読む女性と言うのは常に一定数存在する、

そしてオタク層は保守的で一度触れたコンテンツ類に対し常習性を持つ)

 

自分は漫画文化の研究用に未だに週間少年ジャンプを読んでいるのだが

続けるとしても正直ワンピースが終わるまで・・・と思っている。

 

 

今週から始まった漫画『アグラヴィティー ボーイズ』がネットで

話題に上がっている。

 

読んでみて面白いけれどこれはこの状態で完成してしまっているなと、

そう感じた。何と言うか、男子しか登場しない『ゆらぎ荘の幽奈さん

と言った印象の漫画に固定されていくのではないか?

 

今後、作者がどの様な展開を考えているのかは現状では判らないが

設定されている365日はあまり有効に活用されない気が凄くする。

(そもそもSFと言うかストーリー漫画ではないだろうし)

 

アニメが始まって人気が急上昇した『鬼滅の刃』、連載開始当初から

自分は好きで読み続けているのだが「今頃気付くなんて遅過ぎる」

と言うのが正直な感想。

 

ただ、鬼滅の刃も本誌では既にクライマックス感が漂っていて

このまま続くのか、それとも鬼武辻無惨を倒して決着が付くのか、

予断を許さない状況となっている。

 

ブリーチのように宿敵との決着が付いた後も新たな敵が登場して

続くかもしれないし暗殺教室のように綺麗に終わるかもしれないし

最近のジャンプではどちらもあり得るので何とも言えない。

 

看板である連載を簡単に手放すわけはないだろうけれど力のある

漫画家であるならば次の新しい作品を見たくなるのもそれも道理で、

最善の判断を下して欲しいところ。

 

 

それはそうと漫画文化を後進に残していく為にも読者アンケートの結果や

単行本の売り上げだけを気にしているようではいけないのではないか?

 

売れてなくても人気が伸びなくても『良い漫画作品』は打ち切らずに

1~2本は掲載し続けるような体制を作っても良いのではないか?

 

残念ながらあまり面白くならなかった作品はどんどん止めていいと思う。

でも「今の時代に合っていない」「読者層と食い違う」と言った理由で

漫画作品としては優れているかもしれないが商業的に魅力がないので

端から取り扱わないと言う判断では、漫画雑誌と言うもの自体がどんどん

つまらないものに変わってしまうのではないだろうか?

 

「どんなものが当たるか、やってみなければ分らない、どんどんやれ」

そういった考え方は良いと思うけれどその一方で「当たるか」に

目を向け過ぎなのではないかとも思う。

 

「当たらなかったけれど凄まじく良い作品だった」

そんな漫画も必要なのではないか?

生きていると良い

コモドール64のゲームのロングプレイ動画は冒頭に必ず

タイトルBGMを鑑賞する会があるとか、タレントパートナーのCMは

きみのためなら死ねるのBGMに似ているなとか、割とどうでもいい

発見がごちゃまんの今日この頃。

 

現在開発中のBtUBに関しては全然進展無しの状況。

今はイベント会話向けのテキスト表示の仕組みを準備中。

 

フォントは英数字と記号、ひらがなカタカナ、それと漢字いくつか。

それを全部描かねばならないのでそのデザインも考え中。

 

今回は画像の回転は例外的に使っているが動的な拡大縮小処理と

透過処理は封印して作っていく予定で、キャラクターや装飾など

画面内のデザインには統一性を持たせゲームの画面自体が一つの

ピクセルアートとなるようにしたいと思っている。

ピクセルアートと言っても解像度も色数も少ないものではあるが)

 

多分何らかの筋の人には「そんなのがウケると思ってんの?」

「そんなのに金を払う奴なんていないよ」「はい解散」などと

言われているのだろうと思う。

 

そんなのは全然構わない。勝算の有り無しで動いてはいない。

そもそも自分の好みのビジュアルが今の主流のものとは違うので

自分のやりたい事をやろうとすれば売れ線になんてなる筈もない。

 

昔からきれいな絵にはあまり興味は無かった。

それよりもデザイン的にグッと来るもの(説明出来ない)が好きで、

ゲームのドット絵も色数が少なかった時代の物の方が好みだ。

 

 

上手い絵ときれいな絵はイコールではない。良い絵と上手い絵も

イコールではない。

 

命を持った生きている絵がいい。

 

BtUBにそれがあるかと言うと多分無い。

絵で足りない分は動きでカヴァーする。ゲームならばそれが出来る。

 

そう言うものを作りたい。そしてそう言うものが欲しい。

自分の欲しいものを作ろう。

 

 

※追記:台詞エディターを作り、ゲーム中に使用するテキストボックス内の

メッセージを数値に置き換えてdoc形式で出力させる・・・準備中。

 

キャラ同士の会話のようなものがあるかどうかは未定だが、

このゲームでは進行に合わせナレーションのようなものが挿入される。

 

まだ漢字は用意していないがエディタとしては一応動いている。

(上の大きく表示されているのが『台詞』で下の数値がその文字番号)

 

技術検証目的のゲームなのに必要となるエレメントが地味にめっちゃ多い。

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台詞エディター

 

BtUB、そろりそろり

とは言え慎重に進めているわけでもない。

最近は作業する時間があまり取れておらず、進展はあまりないが

ちょっとずつアウトラインが見えてきている。

 

『BtUB』はこれまでも書いてきた通り仮のタイトルなのだが、

とりあえず最初に公開されるプロトタイプはこのタイトルのまま、

配信する見込みなので折角なのでタイトルロゴも用意した。

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BtUBタイトル画面

 

ゲーム中の画面には殆ど変化は無いがこちらも一応貼っておく。

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BtUB開発中のゲーム画面(191129)

 

ゲーム内容はツインスティックシューターであるとだけ、伝えておこう。

レガシスウェアの例によってこのゲーム独自のシステム・・・と言うか

独特のプレイ感覚があるコンパクトなダンジョンクローラーとなる予定。

ちなみにステージや敵配置は自動生成ではない。

 

今回のゲームは本当は正式なタイトルが決まっていたのだが、

そのタイトルのままだと色々と宜しくない(ネタバレ的な意味で)ので

BtUBとしたのだが、実はこれもストーリーに直接関わるキーワードの

略となっているので、まあこれに決定するのにも色々と葛藤があった。

 

ちなみにプレイヤーの機体はメカのようでメカでない、ちょっとメカな

乗り物となっていて、これもあまり解説したくないのだが、

名前は今のところは『ホースp型』としておく。

 

ゲーム中での見た目はのっぺりとしたサイバーフォーミュラみたいだが

実際はこんな感じ。

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自機の名は・・・ホース

 

主人公は16歳くらいの女の子・・・と言う設定を考えているが、

この辺も決定では無いしそのような設定があったとしてもゲーム中には

一切ビジュアルとして表現されないかもしれない。

 

ゲームにはストーリーがあるのだが可能な限り情報をぼやかして

プレイヤーには判然としないものにしようと思っている。

 

なので固有名詞もあまり出したくないし出す時も『仮の名』で

呼ぶ事となる。ただ、開発者の頭の中には物語はちゃんとあるので

何も考えずにデタラメを並べているわけではないので安心して欲しい。

・・・まあ実際にプレイしていただけるのはまだまだ先のことなのだが。

 

今回はこんな所で。

ではまたね。

 

#cf2.5 #indiedev #devlog #shmup #shooter #retro

BtUB、マップの作成

マップの作成中。

メインシステムが文字通り旧世代なのでマップのデータも

数列で入力しなければならず予めノートにマップを書いて

それを元にマップデータを作っている。

 

数日前までは部屋と部屋を仕切る扉の仕様を完成させるのに

時間を食ってしまっていた・・・単純な指定間違いだったのだが

部屋ごとに鍵が必要な扉や敵を倒す事で開く扉、袋小路など、

部屋同士の繋がりを作らねばならず、それらも個別に数列にして

予め用意しておかなければならない。

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※ネタバレ有り、注意

もし依頼を受けて作っていてクライアントにこんなのを持っていったら

はっ倒されるだろう。

でもゲームを作るってのは元々そんな単調な入力作業の繰り返しで

ごく当たり前の事だと思っている。

 

ゲームを作りたい・・・そんな風にただ憧れていただけだった頃は

マイコンベーシックマガジンの投稿プログラムのリスト中にある

テキストで保存されているマップデータなどをぼんやり眺めながら

ゲーム中の画面を見ているだけでは解らない秘密の謎にちょっとだけ

触れたような気分になって、ワクワクしていた。

 

今、自分はマップを書いている。

 

なんて面倒な作業なのだ、なんて馬鹿馬鹿しい無駄な作業なのだ、

そう・・・思う。

 

でもそれをやれば、仕様の通りにゲームが動く。

自分で設計したシステムが正常に機能するのを見ると、この仕組みには

恐らくはもっとスマートな方法が存在していて本当の意味で無駄なのだが

しかし形にはなっていて構造体の全体を見渡した時に迫力を感じる。

 

これを自己満足と見るか、レガシー需要に応えんとするサービス精神と

見るか、それは皆さんの判断に任せるが、多分自己満足だ。

 

これがもしシンプルなシューティングゲームだったなら、

もうとっくにプロトタイプが完成して遊べている頃合だが

ダンジョン物だから仕方が無い。

 

自分は技術者としては最低段位。だがアイデアでなら通用する場面も

あると思っている。

 

まだまだ地味で無駄な時間は続く。だがしかしこれは修行ではない。

先人の通ったごく当たり前の道なのだと思っている。

 

※追記。

結局あまりにも面倒すぎるので専用のマップエディターを作った。

その作業の「何がどう面倒なのか」を知ればこう言った冶具も

作ることが出来る。そしてこれもまたレガシー。

 

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マップエディター

 

ポケモン ソード・シールドの受難

ポケットモンスター ソード・シ-ルドが炎上しているらしい。

ポケモンは第一作目を発売から大分経ったころに中盤くらいまで

プレイした程度なので知識も思い入れも殆どない。

 

ポケモンの北米版が出た時にこのゲームが日本でヒットした事を

意外に感じていたので流石に海外ではウケないのではないかと

思ったが、結果は皆さんの知るとおり。

アニメも大人気となり『ポケモン』は世界共通語になった。

 

そんなポケモンもシリーズ重ねて8作目、しかも今回から携帯機

専用のタイトルとしてではなく、据え置き機としても使える

switch専用ソフトとなって帰ってきた。


【公式】『ポケットモンスター ソード・シールド』 紹介映像

 

つまりポケモン本編が遂にテレビ画面で遊べるようになったのである。

(旧作のバーチャルコンソール版は一先ず置いといて・・・)

 

さて、そんなポケモン ソード・シールドの、何が今問題となって

いるのだろうか?

 

自分はポケモンの情報をチェックしていなかったので今さっき

知ったのだが・・・新作には登場しない、連れて行く事も出来ない

ポケモンが居るのだそうだ。

 

「そうか、ならば対戦時にはソード・シールドに登場するポケモン

だけで戦略を練らなければならないな、今回はこれまでとは違った

プレイスタイルになりそうだぞ・・・これは楽しみだ!!」

 

とはならなかったようだ。

「お気に入りの"いつもの"ポケモンを連れて行けないなんて悲しい」

「あのポケモンがいないと百戦錬磨のあの戦術が成り立たない」

「フルプライスのゲームなのに前作より目減りしてるなんて許せない」

 

・・・怒りや悲しみ、様々な不満もあるだろうけれど、ファンの望む

理想像のままにswitchで新作をリリースするなんて事は正直不可能だ。

 

3DSの時でも相当無理してるだろうなと思っていたくらいなので、

switchであの規模のものを・・・しかも新要素や新ポケモンも追加し

同じ値段で、しかも同じくらいの開発期間で完成させるなんて、

どう考えても無理だ。多分価格を3倍くらいに設定しない限り無理だ。

 

だからこのような事でこんなに簡単に炎上するのであれば、

正直もうシリーズは続けられないのではないだろうか?

 

任天堂は相当儲けているんだろうからこの程度はファンに奉仕しろと

そう思っているのかもしれないが、まあ無理だ。

 

スマブラで過去キャラが全て出るなんてのとは到底比較出来ない。

他にもグラフィックスが良くない、今時フルボイスではない、

新システムが気に入らないなど不満に感じる部分があるようだ。

 

新システムはともかく、皆さんがお店で払うお金の分の価値は

確実にある筈で、これ以上を望むとなると子供のお小遣いで

買えるような商品ではなくなってしまうだろう。

 

だからと言ってシリーズのファンが納得するかと言うと・・・

多分納得しないだろうとも思う。八方塞だ。

 

では3DSだったら全てのポケモンが登場する新作を発売出来たのか

と言うと、それも難しかったのではないかと思う。

 

前作のエンジンをそのまま流用したとしても絶対的な物量増には

抗いきれないだろう。いつかどこかでこうするしかなかったのだ。

そのタイミングとして据え置き機としても使えるswitchでの新作を

選んだというだけなのではないだろうか?

 

今回の騒動がいつ、どのような形で収束するのか、全く分らない。

ただ一つ言えるのは新作登場の度にキャラがどんどん増えて

内容もどんどん豪華になる、値段据え置きで内容量が増し続ける

商品なんて存在し得ない。

 

にも拘らずそれを大多数のユーザーが望み続けるとしたら、

多くのファンを抱える事はいつしかリスクとも成り得る・・・

と言うことかもしれない。

 

人の欲望は留まるところを知らない。

欲を煽り続ければいずれ欲に滅ぼされる。

 

と言うことかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

ぺこんぽぺこんぽ。厳しい時代だ。

アナと雪の女王

テレビで『アナと雪の女王』を放送していたので見ていた。

 

アナ雪、2013年の劇場公開時に大ブレイクしたものの、

そう言えばこの映画一度も見ていなかったのだ。 


アナと雪の女王/予告編|ディズニーデラックスで配信中!

 

ストーリーは・・・今更書く必要もないだろうが一応説明すれば

主人公アナとエルサがなんかわーってなるお話だ。

 

映像は今見ても美しく、当時大ヒットしたのも頷ける。

ただこの映画の一番の人気シーン、エルサが様々な縛りから

開放されるシーンに関しては思い描いていたイメージとは

全く違っていた。

 

遥かもろこしの方から聞こえてきた話によれば、

このシーンはエルサが生まれ持ったしがらみから抜け出し、

一人の人間として始めて地に足をつける・・・

「ありのままの自分」を受け入れ自立していくなどと言う

希望と輝きに満ちたものであったが、

自分が感じたのはむしろ深い悲しみだった。

 

アナと王国を守るため自分を殺し全てを閉ざしてきたエルサは

あのシーンでは一見解放されたように見えるが、

そもそもエルサ自身(両親の遺志)が望んだ事であり

アナを傷つける事、拒絶する事、そして民を裏切り国から

出て行くことはエルサ自身の心を最も傷つけたはず。

 

だからあのシーンは顔は笑っていたが心は泣いていて、

意気揚々と歌い上げる様は逆にひどく悲しいものに見えた。

 

その後のシーンは・・・まあ取り立てて思うところはない。

ディズニー映画なので観客を裏切るような展開がある筈もなく

全てはきっちりと解決しハッピーエンドを迎える。

 

テーマに沿っており満足出来る内容だったがエルサにとっては

何処か影を残した気もする。続編を意識しての事だろうか?

何となく悲しみの感情が拭い切れない・・・のであったが、

 

その後孤独のグルメを見て一瞬で感情がリセットされた。

笑顔・・・いい。

 

幸せそうな人を見ると自分も嬉しい気分になる。

勿論あれはお芝居だが実際に食事もしているので表情は本物だろう。

 

そう言えばアナと雪の女王では意外と幸せそうなシーンが少なかった。

(序盤のアナとエルサのシーン、アナとハンスのシーンは結局覆されるし)

 

悲しみの感情がリセットされなかったのはアナとエルサが

幸せに暮らしていた頃の描写が殆ど無いからだろう。

 

そのクールさはクライマックスの盛り上がりを引き出す為に

意図的に用意されたものだと思うが幸せだった頃の二人のシーンは

もっと沢山あっても良かったのではないかとも思った。

 

そんな感じ。