カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

物語性とロールプレイ、そして恋し君がためのホニャララ。

少し前からゲームにおける物語表現のあり方について考えている。


自分ではゲームにストーリーは基本、必要ないと考えているが
恐らく多くのプレイヤーにとってはそうではない。


自分はゲームプレイがストーリーに引きずられるゲームはあまり好きではないが
そう言うものを好むプレイヤーもいるだろうし、プレイを持続するための
何らかの動機付けを求める人もいると思う。


そう言ったことを単に「意見の相違」として気に入らぬ者、肌に合わぬ者は
他に行ってもらって構わないと決別していくことは良い決断だとは思わない。
なるべく多くの人が納得できる(全ての人が・・・ではない)完成形を示して
そこで初めて何かに到達できたと、そう感じることが出来るのだと思う。


さて、ゲームにて物語を中心とする構成を何故私が好きではないかと言うと
ゲームはゲームプレイを中心として構成されるべきであり、物語やキャラクターは
ゲームを視覚的に理解しやすくするための駒や札や盤に過ぎないと考えるからだ。


ゲームをプレイすると言うことは・・・戦場で剣を振るうのと同じことだ。
その剣は何の為に振り下ろされるのか?勿論、敵兵の首をはね落とすためである。


戦いに勝つ、勝つためにはどの様に行動すべきか・・・模擬戦において
これを常時模索するのがゲームであるが、全ての人が兵士となって戦場を
駆け回りたいわけではないだろう。


戦場であっても晩のおかずや恋し君のことが忘れられないものもいるだろうし
そもそも戦場になど出たくはないものも大勢いるのである。


では、どうすればそのようなものを戦いに駆り出すことが出来るのか?
・・・その答えが恐らくは『ストーリー』や『動機付け』なのであろう。


ストーリーとはゲームを進行させる上での状況的背景と目的をうすぼやかして
プレイヤーに伝えることを指し、まるで自分がその世界の歴史を作り上げたように
錯覚させる手法を言う。


自分が世界の中心であるならば、自分が行動しない限りその世界には明日は訪れない。
ストーリーが用意されていればその世界に関与してしまった自分の責任を果たすべく、
本来は旨としない行動であっても衝動に突き動かされ前進するかもしれない。


或いはその行動に動機があるならば物語的役目を請け負う気持ちが無かったとしても
最後まで付き合おうとするかもしれない。この場合の動機とは『恋し君』である。
『萌え』という言い方をしても構わないだろう。


戦いを好むものは戦いに向かうことそのものが動機となるがそれは少数派の意見で
多くの場合はストーリー上の役目を果たすことか、恋し君(この言い方が気に入ったので
萌えという言い方は忘れ、暫くこれを使って話を進めていく)のためならば例え火の中水の中と
恐れを忘れ突き進んでいけるかもしれない。


そして恐らくはこのようなことをゲーム全般をして『ロールプレイ』と言い
前述の例を元にA、B、Cとそれぞれ3つにゲームプレイヤーを大別するならば、
Aのロールプレイとは=自分が主役になりきり、兵士としてのマインドセットを以て
戦場を駆け巡ることであり、


Bのロールプレイとは=自分に与えられた指令や解決すべき困難を俯瞰して捉え、
司令官のマインドセットを以て物語の主役として戦場を見据えることであり、


そしてCのロールプレイとは=与えられた業務や日常をこなしつつも色恋ざたや物欲を優先する
遊び人のマインドセット(最良の表現が見つからなかった)を以て私欲を満たすことである。


人によってAB両方持っていたりどれか一つだけであったり、或いはABC全てを持つが
一つ一つの発現はとても弱かったりと個人差があり、それぞれのロールプレイを以て
ゲームと言う芝居を演じていくのだが、そのことが特定ジャンルのゲームに対する苦手意識や
興味を持つ度合いを決定しているのではないだろうか?


つまりAの兵士のマインドセットを持つ人はシューティングゲーム格闘ゲームなどの
策略を立てることよりも武力・腕力にて直接解決することの多いジャンルのゲームを好み、


Bの司令官のマインドセットを持つ人はシミュレーションやRPG、ADVなど物語を紐解き回収し、
それらを自身の望む方向に向かうよう策を巡らせるようなジャンルのゲームを好み、


Cの遊び人のマインドセットを持つ人はデートシムやノベルゲーム、或いはスローライフシムなど
あまり策を巡らせずともかけた時間分の欲望は満たされるようなジャンルを好むのかもしれない。


自分が持たない(或いは発現の弱い)マインドセットに象徴されるゲームは多くの場合
人はプレイする意欲を掻き立てられない可能性がある。


人によってどうしても好きになれない、ハマれないジャンルがあるのはそのような理由から
なのではないだろうか?


だがもしかしたら物語はそんな時にこそ役立つのかもしれない。
物語を中心にゲームを楽しむプレイヤーは先ず物語がなければプレイを始めないだろう。
戦闘を中心にゲームを楽しむプレイヤーにとっては物語は時に邪魔になるかもしれないが、
絶対にあってはならない訳でもないだろう。
恋し君を中心にゲームを楽しむプレイヤーならば恋し君さえいれば他に問題はない筈だ。
恋し君のいるゲームには大抵物語は付いている。


ゲームにおける理想のストーリーテリングとはあらゆるタイプのプレイヤーを
同じゲームに留めるためのハンバーグにおけるつなぎのような物を指すのかもしれない。


つなぎであるならばどのような方向性が相応しいのかがある程度見えてくると思う。
物語そのものが受け入れられなかったゲームも幾つかあったように記憶している。


プレイヤーのタイプは様々だ。
作り手(書き手)は自分のマインドセットを今一度見直してみた方が良いかも知れない。
そこに上手く行かない(或いは上手く行く)理由が見つかるかもしれないから。




※ちなみに文中の"兵士のマインドセット"の言い回しはTED TALK
『ジュリア・ゲレフ: 間違っているのに正しいと感じるのはなぜなのか』からの引用だが
このスピーチの内容と今回のテーマとは特に結びつきはない。あしからず。