カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

長い茶筒

 

今回は柔らかい口調で。

 

現在鋭意検証中のシューティングゲーム『DG』の話です。

これと言って進捗はなく、特に続報は無いのですが・・・

まあ何にも無いと言うのも寂しいので、今語れる部分に限定して

ちょっとだけ、ネタを明かしてまいりましょう。

 

先ず『DG』と言うタイトルですが・・・これは現段階では

お教えできません。略称がDGなのは確かなのですが、その内訳は

変わるかもしれません。

 

・・・と言うのも、ゲームの根幹となるシステムが未だに確定

していないので、タイトルがゲーム内容と一致しなくなる

可能性も有るからなのです。

 

DGのスタートはその一つのアイデアからで、タイトルもそこから

来ているのでゲームシステムが変わるとDGがボヤけてしまう。

 

ゲームの芯が決まらないのでそれに伴い色々と決まっていかない

部分、変更が必要となる部分が出てくるのです。

 

今のところ確定しているのはストーリーの入り口部分だけで、

これは「強国同士の戦争に神様が介入、一方を勝たせるように

祝福を与えるが、それを知ったもう一方は悪魔に助けを求める。

かくして神と悪魔の代理戦争が今ここに始まる・・・」

と言うもの。

 

DevilのDとGodのGで『DG』とも読み解けるのでこれがいいなと

思った訳ですが、正式タイトルにはデビルもゴッドも含まれません。

 

今も検証中なのですが(とは言え実際に組むよりも頭の中での

シミューレーションが多い)まだ穴が多くしっくり来ていません。

 

最近、他の方のゲームや昔のアーケードゲームの動画などを

よく見ていますが、改めてそうか、凄いなと思うことが多いです。

ただ・・・そこで「自分には出来そうもない、無理だ」などとは

微塵も思わず、「そうか、こう言う時はこうすれば良いのだな、

なるほどなるほど、そのアイデアはありがたく頂戴しよう」など

無謀にも思ってしまうのです。

 

新しい事を全くやらないならばウケのいいゲームは直ぐに作れそう。

などなど変な自信を得てしまう。まあ悪い癖ですね。

 

今現在DGは長いトンネルならぬ「長い茶筒」の中に居ます。

このフタ硬くて開かないし、無理に開ければ勢いで茶っ葉が

飛び散りそう。どうしたもんか・・・。

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仮の自機。芯が決まらないのでビジュアルスタイルも決まらない。

あのカーブ、苦しい?苦しくない?

色々と考えて、もしかしてこう言う事だったのではないか?

などとこれまでは自身になかった結論を見出す事がある。

 

最近、未だに自分ではその面白さをほとんど理解出来ていない

弾幕シューティングとは『数式』を楽しむものなのではないか?

と言う仮説にたどり着いた。

 

勿論この仮説は弾幕シューティングを愛好する全ての人に

当てはまるものでは無いが、そう考えると数学が苦手な自分が

弾幕シューティングを上達しないのも、好きになれない事にも、

なるほど合点がいく。

 

弾幕シューティングの主成分たる『弾幕』は

多くが関数式によって形作られる曲線上に弾丸が沿って動く事で

形成されている。

 

自分も多少なりともゲーム制作をかじっているのでこの程度の

知識は有り・無しで言えば「無し寄りの有り」なのだが、

ゲーム作成中でも「このくらいの隙間」「このくらいの頻度」

「このくらいの発射数」にしたいのでこんな感じに組む・・・

と言う程度の技術力しかなく、関数曲線を思い浮かべながら

「だからこう」と言うような確信は残念ながら持っていない。

 

しかしそう言った事を軽く想像できる人達もいるのだから

当然プレイヤーだって同じである。

 

「この弾の撃ち方はあの数式・・・ならば次はここが開く」

そう言う事がプレイ中に見えているのであれば弾幕を抜けるのも

面白いだろう。要はシューティングゲームをプレイしている様で

実際は計算式を解いているのだ。この場合数学が楽しいのだ。

 

だとするならば自分にその面白さが理解出来ないのも当然だ。

その人達にとって狭所はストレス足り得ないのだ。

 

実際その様な感覚を持ったプレイヤーやクリエイターが

どの程度居るのかは良く分らない。

 

ただ、次元が違う可能性には気づく事が出来た。

そうか、だからエンタメ(ポルノ)で対抗する人達が居るわけなのか。

 

自分はどう抗うか・・・まあ今まで通り『面白さ』で

ぶつかっていくしかないだろう。

 

幸いにして面白さの解体と解析は多少なりとも覚えがある。

今まで通り苦しい戦いをして行こう。

さようなら全てのエヴァンゲリオン

最初に・・・ネタバレあるかもしれないのでそこは断っておく。

 

今日、シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て来た。

序破Qに続くリメイク版エヴァンゲリオンの4作目。

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序が2007年、破が2009年、Qが2012年なので、

実に9年ぶりの新作であり、第一作目から数えると

完結までに実に14年かかった事になる。

 

劇中での碇シンジは14歳でQでは更にその14年後が描かれている。

 

今回の序の公開から数えて14年と言う数字は、

恐らく狙ったものでは無いと思うが(とも言えないが)、

エヴァンゲリオンの完結には正に相応しい区切りだったとも言える。

 

映画はシンジの物語というよりはゲンドウの物語と言った印象で、

(勿論主人公はシンジだし最後までシンジを中心に描かれる)

これは庵野監督自身とエヴァとの物語でもあったのだろうと感じた。

 

どうすればシンジはもうエヴァに乗らずに済むのか・・・?

その問いは「どうすれば金輪際エヴァ作品を作らずに済むのか」

・・・と、セットになっている。

 

その仕込み段階として序破Q(特にQの14年経過)はあり、

シンにおいて遂にエヴァ登場人物たちの抱える全てに決着がつく。

 

ボクら観客はもう二度とエヴァンゲリオンを呼ぶ事はない。

彼らは全ての過去にケリをつけ、そしてそれぞれの終着駅へ

降車していった。

 

14年と言う歳月は子供を大人に、大人を老人に変える。

さようなら全てのエヴァンゲリオン

 

僕たちも君らと同じように清清しく、相応の歳を取った。

 

 

 

追記。偶々はま寿司に入ったらシン・エヴァンゲリオンとの

コラボ中で限定メニューや様々なタイアップ・キャンペーンが。

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初号機暴走ロールは流石に注文しなかったですが・・・。

(例のディストピア飯とかだったら食べてみたいけど)

 

追記の追記。

昨夜、『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見た。

今日はtwitterでもそれに関して色々と賑わっていたのだが、

その中に、シンエヴァ庵野監督が伝えたかったのは

「結婚して子供を作れ」みたいな事だと言うものがあった。

 

勿論そのような「種としての本来の姿、幸せとは?」

と言うようなメッセージは有ったと思うけれど自分的には

クリエイターに対するメッセージ強かったのではないかと思う。

(勝手な思い込みだけど)

 

それは「何かの丸写しじゃなくそれを吸収しオリジナルを作れ」

と言う事だ。

 

プロフェッショナル 仕事の流儀では、庵野監督とスタジオカラー

煮詰まっていく様が生々しく伝えられていた。

 

面白かった・・・などとは口が裂けても言えないが

他人事ならば面白かった。

 

庵野監督の流儀にあーだこーだは自分が語っても仕方がないので

この辺で。

塩と味噌なら難しい

この間からDG(仮)の作業を進めてはいるものの、全く捗ってはいない。

何故かと言うと・・・相反する要素を組み合わせているので互いに

打ち消しあったり、逆に片方が効き過ぎて成立しなかったりしていて

ゲームシステムとして纏まらないのである。

 

これはこのアイデアを出した時から分っていた事なので焦りは特に

無いのだが、上手く行っていないので少なくともゴキゲンでは無い。

(BGMだけはゴキゲンなのだが・・・)

 

料理ならば「塩と砂糖」であったり「塩と酢」など、方向が大きく

異なる調味料を組み合わせる事で新たな味付けを生み出すことが

出来るが今回は無理に例えれば「塩と味噌」と言う感じであり、

ただ合わせればしょっぱいだけだし、加減して良い具合にしても

どの道しょっぱい。

 

相反するのだから一方は甘ければ良いのだがどうも甘くは無いのだ。

 

イデア的には誰もが一度は思いつくがやってみて直ぐに諦める様な

手合いのものだ。

 

計算ずくめで無理やり形にしたところで面白くはならないだろう。

それをシンプル且つ有効に機能出来るように纏め上げるのが

今回のテーマなのである。

 

今のところ五分五分。

ゲームというのは調整次第でいくらでも「とりあえず遊べる」

ものにはなる。でもそれでは駄目なのだ。

 

「このシステムありき」で尚且つ「面白い」ものにしなければ

作り手として面白くないのである。

 

相変わらず技術面では無いところで一人喧嘩をしている。

誰か塩を送ってくれ。また別の誰か、その塩を撒いてくれ。

そのまた別の誰か、その撒いた塩を片付けておいてくれ。

 

しょっぺーしょっぺーしょっぺーわ

天日に干しても天塩です。

撃つ星、穿つ輪。

うっせぇうっせぇうっせぇわ

・・・錦鯉の長谷川くんが例の動きで言えばなんか和む気がする。

 

いや、そんな話をしたいんじゃなかった・・・今やってる

試作STGの1面の曲が出来たので気分が高揚中なのであった。

 

まだ全然進んで無いので当たり前に詳しい事は何も言えないが、

まあ変なゲームになりそうです。

 

開発中のコード名は『DG』で、正式タイトルは既に決定済みだけど

内容はゲームシステム以外は殆ど何も決まっていない・・・と言う

初期も初期の段階。いつもだったら誰にも教えていないだろう。

 

このゲームに関しては要所要所で(実在すれば)テストプレイヤーを

募集したりして企画にユーザーにも参加して貰う方が良いだろうと

そんな風にも思っている。

 

とは言え難しい部分もある。

正直・・・自分は自分自身も含め誰かの性癖みたいなものはゲームに

反映させたくないと言う思いがある。

 

ゲームに向う理由・事情は人それぞれだと思うが、自分はいつでも

『何者かと戦う事』を目的にゲームを作っている。

 

『何者か』は平たく言えば『敵』だ。

 

誰かに「このゲームには敵が出るよ」と聞けば

「え?本当?やったー!!これでまた敵を存分に倒せるぞ!!」

・・・と喜びを爆発させる。

 

なので『○○キャラはもっと□□が△△じゃないと』みたいな

オタク的嗜好を一方的にぶわーっと言われると物凄く冷める。

 

そう言うの「好きだから好きな気持ちをぶつけたい」と言うような

心境なのだろうけれど、自分には殆ど無い感情(少なくともゲームには)

なので、誰かと一緒にやっていくと言うのはそう言う理由で自分には

困難が付きまとうだろうなぁと思う。

 

ただし『何者かと戦う事』=『およそ敵を倒す事が目的』と言っても、

格下相手に無双したいわけじゃない。

 

自分より少し弱いか同じくらいの腕前~自分より強い、遥かに強い、

そのくらいの範囲でゲーム進行に応じて徐々に厳しくなっていくのが良い。

 

こう言うある種の「拳で語る」みたいな感覚はなかなか理解して貰えない。

 

どっせいどっせい土星の輪。

 

DGは曲作りながら何となく世界観とキャラを今も尚構想中。

続報はいつになるか分らないけれど、まあお楽しみに。では。

OVER DRIVE

1990年にコナミがリリースしたアーケードゲームOVER DRIVE』は

日本国内ではロケテストだけが行なわれ、販売された実績はない。

北米やヨーロッパ地域など、海外だけで稼動していたゲームだ。

 

 

昨日の夜の事だ。

 

例によって何となくyoutubeのリストアップしてくる動画のサムネイルを

眺めていると、見慣れぬゲーム画面が目に入ってきた。

 

そこにはKonami Over Driveの文字。そんなゲームあったっけ?

自分がゲームセンターに通っていたのはせいぜいデイトナUSAの頃までだ。

デイトナは1994年のゲームなので90年のゲームならば知らない筈はない。

 

画面の感じからし体感ゲームパワードリフト系のレース物の様だ。 

(グラフィック表現の話、ゲーム自体はスーパーハングオンみたいな内容)

 

調べてみてそれは海外でのみ販売されたアーケードゲームである事が

判った。国内販売されなかった理由は分らないが・・・恐らくは

ロケーションテストでの成績が良くなかったのだろう。

 

しかし動画を見れば分るように当時の他のゲームと比べても決して

グラフィックは悪くない。そして如何にもと言った趣のコナミサウンド

知ってる人は10年前から知っていたのだろうが、自分は昨夜初めて知った。

 

やや音数が少ない印象(恐らくサンプリングに使えるチャンネル数が少ない

或いはもしかしたらBGMは未完成のまま出荷されたのかもしれない)

だが、ノリノリで爽快感と疾走感のある気持ちよい曲調だ。

 

 

誰が書いた曲なのだろう?調べるとゲームボーイ版F1スピリットにも

Over Driveに使われた曲が使用されている。恐らく担当者が同じなのだ。

ただ、GB版F1スピリットにはクレジットロールが無いのでコンポーザーが

誰なのかは分らなかった。

 

Wikipediaの『コナミ矩形波倶楽部』のページにもOver Driveに関連する

記載は見つからなかった。

 

曲調からしてクライムファイターズの曲を書いた方かとも思ったが

それを示す証拠は無い。

 

MSX版のF1スピリットを担当された古川さんの曲でも無さそうだ。

こんなカッコいい曲のゲームが埋もれていたなんてちょっと衝撃だった。

 

アケアカで出ないかな・・・ 

シューティングが作りたい!!

・・・と言うわけで

シューティングゲームの制作を開始する準備を開始した。

 

オー・ワールドの任務が完了したのでやっと他に取り掛かれる。

これほど嬉しい事は無い。

 

とりあえずオー・ワールドの開発中にもいくつかのアイデア

したためていたので、一先ずはそれを試してみたいと思っている。

 

検証用のプロトタイプなので公開するかどうかは未定だけど、

面白くなりそうだったらデモ版を公開して何れは有料の製品版も

考えても良いだろう。

 

そのゲーム用のBGMを早速作った。作曲者に作曲の勘が戻るには

多少の時間を要したがキーとなる曲が一つ出来たので後は早いだろう。

 

当初頭の中にあった世界観はダークなジャズ調のサウンドに乗せて

モノクロで描かれた美男美女が不適な表情を浮かべるようなもので

あったのだが、作曲者の引き出しに無かったのか、全然作れない。

 

お遊びでTATSUJINの曲を耳コピしていたら、まあこんな路線でも

良いかもしれないなど思い初めて・・・なんか今鳴ってるのは

80年代ディスコみたいな感じの曲。どうなっていくのか判らない。

 

自分の場合はこうやって素材を少しずつ作り外堀を埋めていく内に

キャラクターやストーリーが自然と出来上がっていくので、

開始時の設定などは有って無い様なもの。

 

いつも通りちょっと変わったシステムを検証したいので内容も

王道のものにはならないかもしれない。

 

ただ・・・それでもシューティングであることには間違いない。

シューティングが作りたい!!

 

数ヶ月の間封印していた感情を、今喜びに変えている。