カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

良し悪しも間を取れば及第点

レガシス関連では特にこれと言って報告することがない。
・・・となると、あまり書けることも無いわけです。
ああ、毎日暑いね。夏だもんね。


ま、報告することは無いとしても日々思うこと・考えることは
それなりに有りもするんです。たいそうなこっちゃないですけどね。


最近気になるのは・・・例えばamazonのカスタマーレビューであるとか、
ネット上に点在する様々な掲示板で有るとかの、何方かの書き込みですね。
何か一つの商品があったとして、それに対してユーザーが「これは良い」
「いや駄目だ」など互いの意見を述べ合ったり、或いは一方的に列挙したり
はたまた多数から反論されたりするわけです。


ユーザー同士で意見の交換が出来るってのは非常に有用なことですけれど
ネット上では殆どの人が本名を名乗っていませんから、言わば『赤の他人』。
知ってる人ならば多少気に食わないことを言われようと「まあそうですね」
・・・で済ませることも出来そうなんですが、ネットの中では見知らぬ同士。


見知らぬ同士ですが・・・同じ掲示板などを閲覧・書き込みしているのですから
恐らくは『同じ趣味・嗜好』のもの同士・・・と言うことだろうと思います。
素性も何も知らない相手を前にして普通ならば気を遣うことになるでしょうが
同じ趣味の相手であるから親近感が沸きます。警戒心も多少薄れます。
書き込んだ内容を見ていけば世代の近い・遠いも何となく分りますから、
余計に相手に対する遠慮がなくなっていくのではないでしょうか?


テレビで良く見るタレントさんに親近感を持つのに似ているかも知れません。
タレントさんからしてみれば、テレビの前の視聴者はみな『知らない人』ですが。


相手に遠慮が無くなると人は時に思いがけず強い言葉を発してしまいます。
ネット上では自分自身も本名を名乗っていない場合が多いでしょうから余計にです。
匿名であるから「何を言っても怖くない」=「責任が発生しない」・・・などと
考えてしまうからです。まあ言うまでもなく、間違いですね。間違いなんですが、
多くの方はそうは考えないでしょう。


そうなるともう自分中にて「無敵」になってしまう人が現れたりします。
『仮面を付けると性格が変わる』とか『自動車のハンドルを握ると・・・』などと
同じことだと思います。


ネット上にて匿名性がもたらす『良い作用』と言うのも沢山あります。
ある情報を持っているけれど、それを「関係者」の立場から述べることが出来ない、
ですが・・・匿名であればそれは「怪情報」としてネットの海に漂流させられる。
情報を「リーク」させることは良いことではありません。刑法に触れる場合もあります。
けれど、そのことにより守られるものや闇に葬り去られずに済む事実もあるかも。


けれど世の多くの人は、単なる一般人でその様な大掛かりな背景は持っていないでしょう。
ですから多くの場合はやはり「バレなきゃいい」或いは「このくらい大目に見ろ」
だと思います。まあそれでもいいでしょう。地球は丸いですから。


何かに対して「これはとても良いものだ」と言う意見が出て「ふむふむ確かにそうである」
なんて具合にいけば問題はないのですが・・・時に「いやこんなものは駄目だ」など、
反論する人が現れるわけです。人それぞれ考え方が違いますし、嗜好も異なりますから
違う意見が出ること自体は当たり前のことでしょう。当たり前のことなんです。


当たり前のことなのですから「ああ違う意見だなぁ」と思えばそれでおしまい。
ところが、同じ趣味を持つもの同士が集う場であったりするとそうは行かないようで、
更には相手を言い負かしたい・主導権を取りたいなんて言う支配欲みたいなものまで
湧き上がって来たりしますと、もう止まらなくなる。


仲間同士の単なるじゃれ合いならば「ばーか」「馬鹿って言う奴がばーか」などと
本人達がふざけあって楽しんでいるだけなのでしょうが『匿名』であることが
事情を複雑にしてしまいます。「所詮は赤の他人」なのです。


相手に対して親近感を持ちつつも敬意は払わない。
これが最大の問題なのではないでしょうか?


更には匿名であり、何を言っても責任を問われない・・・のであれば、全く関連のない
発言をふざけてしてしらばっくれていることも出来ます。


出来るならば・・・するでしょう。
じゃあ出来ない方が良いのかと言うと、それも何とも言えません。
人間にはみな顔があり名前がありますから、普通に相対するのならばそれが見えるのは
当たり前。匿名でなければならない事情なんて・・・単なる一般人には見当たりません。


ところがです。インターネットは世界中に開けています。
名前や顔が全く知らない赤の他人に知られることは様々なリスクを負うことにもなります。
誰もが閲覧できるものである以上、それは避けようのないことです。


ですからもしかしたらネット上では匿名であることは『必須』であるのかも知れません。
それは・・・今以上にネット社会が成熟してみてからでないと結論は出せません。


でもとりあえずです。「親しき仲にも礼儀あり」です。
同じ趣味同士の親近感湧く世代の近いもの同士・・・でも実は赤の他人です。
中には、実は知り合いも居るかも知れませんがそこでは他人と言うことになってます。
親しき仲であってすら礼儀が必要なのですから、親しくないのであれば・・・
余計に礼を欠かすことは良くないでしょう。


その様な場を、日頃抱えているストレスを吐き出す場として使うなんて人も
居るかも知れませんが、吐き出した後には敬意を払うべきです。
愚痴を聞いてくれた友達に礼の一つも言わないなんて失礼この上ないでしょう?


それ以外にも様々な利権や思想が背景にある様なケースも有るかも知れませんね。
でも何れにせよ、相手を思い遣る気持ちは必要なんです・・・大人ならね。
子供ならば仕方ない。子供には社会的責任はないですから。


一番最初にamazonのカスタマーレビューを例に挙げましたが、商品によっては
なんだかやけに酷いことが書かれている場合もありますね。


酷いと言うのはその商品を「酷く言う」のもあるのですが、文章自体がまあ酷い。
レビューになっていない、感想ですらない悪戯書きみたいなものも時に見かけます。
まあ書いたのが子供ならば仕方ない。いつか大人になったときに分るでしょう。
でも大人ならば分別有るべきです。無敵であっては困るのです。
『大人気ないボタン』でも設置してあれば一票投じて差し上げたいんですけどね。


良し悪しも間を取れば及第点。一般に流通しているものに平均点が50点を
下回るようなものなんて中々ありませんよ。そんな商品を置いているのだとしたら
置いている側にも責任が有るのでは?


もしユーザーから辛辣なレビューが挙げられているのであれば、売る側も
その商品が本当にそれほど酷いものであるのかを確かめなければならぬのでは?
商品に問題がないことを確かめたならば、問題があると書いたレビューを
そのまま掲載し続けることは不適切なのでは?


まあ長くなってしまったので、最早皆さん飽き飽きでしょう?
そろそろこの辺でお開きと参りましょうか。オチは特に付かないですが。
ほらそれに地球は丸いですからね。丸く治めましょうよと言うことで。
おあとが宜しい様で・・・。