カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

匿名とは『頭隠して尻隠さず』だ。

時どき思うこと。


インターネットでは自ら明かさぬ限り顔も名前も知られはしない。


インターネットの匿名性は例えば内部告発のような
名前を明かさぬからこそ出来てかつ有益性を持つ行為においては肯定できる。


逆にインターネット上で科学者やエンジニアが新しい研究を発表したり
協力者を募ったりするような場合には匿名では都合が悪い。


また匿名であればこそ闇サイトのような場が生まれ犯罪を助長したり
詐欺行為が横行したりもする。


匿名であることは社会的地位・格差や人種・宗教などの隔たりを取り除き
人々を自由に結び付けてくれもする。


だが人は間抜けで、時に匿名であることを悪用し自らを破滅させる。


考えてみればインターネット上で匿名であることの利点はあまり多くない。
せいぜい恥ずかしい思いをせずに真昼間から特定嗜好の人同士が交流出来るとか、
そのようなインターネットが存在して初めて成立するような二次的状況に過ぎず、
そうであるならばインターネットの利用そのものをアカウント制にしてしまえば
いいのではないかなどと思う。


インターネットでは匿名であると同時に多くの場合顔も見せずに済む。
別人になることも出来る。簡単に人を解放させるツールとして機能する一方、
日ごろの鬱憤や不満を良心の呵責も感じずに見ず知らずの他人に一方的に
ぶつけることも出来る。そしてそれらを追跡するのは簡単ではない。


その様な場所では人目ある社会の場以上に自制する力が求められるはずだ。
だが実際は野放しといって差し支えない状況である。


正直規制や強力に取り締まる法律が存在しないことは異常ではないかとも思う。


技術はこの何十年かで飛躍的に進化した。想像を超える早さで、だ。
だがその一方で人は進化したのだろうか?せいぜいスマホを上手に格好良く
使えるようになった程度ではないだろうか?


技術は進化したが人間は進化しなかったのならば、今は技術が人間を監視する
仕組みを根付かせていくべきではないだろうか?


監視社会など実際息苦しくつまらない話でしかないが、人が今の世にすら
適応しきれていないのであれば、進化を促すためのトレーナーとして
人工知能やヴァーチャルリアリティーなどの技術が役立つのではないか?


分別ある大人であれば自由にしてもらって構わない。だがそうではないものを
野放しにしておくのはあまり良い状態とは言えない。


子供には見守る目と支える手、そして語りかける言葉が必要だ。
成人であったとしても不幸にしてその様なケアが足りなかったケースもあるだろう。
彼らには十分に分別を得るまで公的な手助けが必要なのではないか?


人は自由だ。だがそれは顔を持ち名前を持って社会に出てこその自由だ。
顔を隠し名を伏せて闇に身を潜ませる者に自由を与えてやる筋合いなど無い。


匿名であることに一つ利点がある。匿名であることは人を包み隠さない。


つまり、その様な場でどう振舞うか?
それを見ればその人の人間性を100%知ることが出来る。


匿名であることは責任を問われないことと同義ではなく、
匿名であれば逆に責任は倍増するのである。


頭隠して尻隠さず。名や顔は隠せても本性は隠せない。


まず人はそのことを知るべきだろう。