カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

色々と現状を報告したり

寒い。寒波襲来で日本全国みな寒さに震える1月の半ば、
成人式の着物がドロンしたり、ユーチューバーに非難殺到したり、
年明けて世の中始動してみればろくな事がなかったですね!!


レガシスウェアではitch.io版マキシマム・ツーのリリースに向けて
寒さの中、じわじわと更新作業を進めているところです。


syakerakeでのマキシマム・ツーに関してはまだ確認していないので
どの程度ダウンロードされているのかは分らない。


ただ、もし好評だとしたら声が聞こえてこないわけがないし
そんな空気がないとしたら、おそらく誰もプレイしていないのだろう。


支援金よりも多くの人にダウンロードして遊んで貰うことが大事で
誰もプレイしていないのだとしたら今回は失敗作だったと言うことだろう。


プロジェクトを続行するか否かもよく考えなければならない。


時間には限りがある。新しいアイデアも無限に湧き出てくる。
失敗が予見出来るのならば次のアイデアを試したい。


少し前に掲示板だかSNSだかどこかで
「執念を感じるくらいに作り込まれた作品を見たい」なんて書き込みを
ちらと見た気がする。


例えば作るのに10年もかけた凄いゲームとか
・・・確かにそんなゲームなら見てみたいかもしれない。


でも、そのゲームの作者は10年間そのゲームを作り続けなければいけない。
他のアイデアが閃いても、ゲーム以外のものに興味が湧いてきても、
そのゲームを作り続けなければならない。


それは最早義務ではないか?


作者自身が作りたくて望んでそれを継続しているならばそれは構わない。
でもユーザーがそれを望むのは・・・どうなんだろう?


「10年かけて作った凄いゲーム、1本10万円です」
そう言われて喜んで1000人くらい買ってくれる?


どうも、あまりにもリスキーだと思うんだよね。


自分は新しいアイデアを試したくてゲームを作っているから、
どんどん新しいものを作りたい。


それを見て「作り込みが甘い、手抜き・駄作」としか思われなくても
それはそれで仕方がない。


そもそも世の人の作り込みって何を指すのか?
・・・多分グラフィックスのことだろうと思うけど
グラフィックスが凄いのは作り込みがされている証拠とは、言えない。


CGの世界はどんどん進化していて
今やボタン一押しで何でも3次元スキャンできる時代。


実在しないものだって乱数で派生を幾らでも生み出せるし
何れAIがCGのキャラクターデザインも手がけるようになれば
グラフィックスが凄いことなんて何の意味も持たなくなる。


ま、AIが新しいアイデアまで出し始めたら我々も必要なくなるわけですが、
何に価値を求めるのか、それが問われる時代になっていくのでしょう。


一見何か凄そう、サービスも充実してそう、口コミも良くて人気ありそう、
でもそれ本当に中身の詰まったホンモノですか?


これからはユーザーが真剣に吟味しなければならなくなるだろう。
審美眼を持つ人が重宝され、そう言ったインフルエンサーみたいな人に
より金が集中していくだろう。


誰かが「これは良いものだ」と言えばそればかりが売れるだろう。
・・・例え偽物であったとしても。


寒い時代だ。真面目にやろうとすればするほど。


自分は新しいものを作りたい。
なるべく多く新しいものを生み出したい。


古きよき時代を懐かしみつつも、幻想に酔いしれてはいたくない。
先人達に敬意を抱き恩返しをしつつも、次の時代に生きていたい。


難しい取り組みなんだ、成功の可能性の低い無茶な取り組みなんだ、
そう日々実感する。


うん、辛いし悲しいことばかりだね。