カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

マキシマム・ツーと今後など

結構重要なことなのでは・・・!?なんてことをサラッと書いていく。


マキシマム・ツーに関しては自分達の構想どおりに作っていくので
これまでと変らず。あまり人気ではないですが今の形のままいきます。


マキシマム・ツーは私の好きな、原点の一つであるシューティングゲーム
イメージファイト』とマーク3版『SDI』(イメージファイトは機種問わず)を
合わせた様なゲームと言う感覚で作っています。




SDIはアーケード版はトラックボールでの操作が上手に出来ず、自分のウデマエでは
全く歯が立たなかったので判定不能ですがマーク3版に関してはエンディングまで
きっちりと片をつけました。


マーク3版はゲーム中のBGMも一つしかなく移植自体はタイニーな感じなのですが
コントローラーのみで操作する分、実はオリジナル版よりも遊びやすく、
そしておそらく難易度も低めに設定されていて結果理想に近いバランス。


BGMが一つしかないくらいなので容量もカツカツ、エンディングなんてないだろう
・・・などと思っていたら、オリジナル版を上手に再現したあのシーンとBGMが
ちゃんと用意されていて感動するよりも先に「そこか!!」と驚いた記憶が。


ゲーム自体の知名度が低く、また機種もマーク3と言うことでセガの名作では
ありつつ非常にマイナーなゲームですが・・・とても面白い。


もしバーチャルコンソールなどでプレイする機会があったら是非遊んでみてほしい。




イメージファイトは今更言うまでもないですが、アールタイプを作ったアイレム
本格シューティングゲーム第2弾。ストーリー的なつながりもあり、当初はあの
アールタイプの続編・・・としてゲーム雑誌などで大きく取り上げられていましたが
独特のとっつきにくさ・難易度の高さからか期待されていたようなヒットにはならず、
マニアから熱狂的な支持を受けるものの静かに消えていったゲームです。


私がこのゲームを好きな理由・・・それは「戦いがある」からです。
さあ遊んでいってくださいと用意された遊具にまたがるのではなく、そこは戦場。
本気でこちらを殺しに来ます。一瞬でも気を抜いたら即、死が待っている。


硬すぎず柔らかすぎずの敵。遅すぎず速すぎずの弾。多すぎず少なすぎずの面。
攻略法を知ってさえいれば安全に瞬殺出来るボス。


自分にとっては正に理想的なゲーム。
無駄にプレイが長くならず常に死と隣り合わせと言う誰もが望む瞬間がそこにある。


パターンを知っていればそんなゲームでも難なく進んでいける。
動画検索すれば何方かのスーパープレイが幾らでも見つかるでしょう。


だがそれでもスーパープレイヤーではないあなたは一瞬で死ぬ。
攻略不可能ではない、確実に方法がありそれを覚えて尚、一瞬で死ぬ。




ゲームと言うものは本来はこういうもの。


ただしあくまで本来はです。




マキシマム・ツーの面白さは敵を効率的に捌いていく『仕分け』の部分にあります。
敵は同じ動きしかしませんから何度もプレイしていくうちに覚えてしまいます。
「この敵が現れたときはこうした方が良い」と瞬時に解るでしょう。


でもそれが高次面では捌ききれなくなる。同じ単調な攻撃しかなくてもそれが
複合されると難易度は数倍に高まるのです。


このゲームが難しいと感じている人はおそらく攻撃が複合される部分を指して
難しいと言っているわけではないでしょう。


ランダムジェネレートだから難しい、パターンが通じないのは卑怯だ、
・・・多分このようなことなのではないかと。


そしてこのゲームを面白いと感じない人はおそらくマキシマムのゲーム性を持って
面白いと感じないのではないでしょう。




今のプレイヤーがゲームに求めているものは娯楽性。或いは恋人の代替品。
或いはコミュニケーションツールとして人と繋がるダシとして。


ですからゲームを熱く語ってみたところで多くの人には通じない。
ある意味ではゲーム性は舐められているしゲームは既に大衆料理へと変っている。




だから・・・自分の作るゲームも変らなければならない。
既に作りかけているものは設計変更を行わず、構想どおりに作っていく。


でも、今後新たに始動するであろうタイトルは昔のアーケードゲームのような
ものにはならないだろう。


そういう意味ではレガシスには終わりが近づいている。
ゲーム作りをやめることは考えていないけれどこれまでのようなものは
もう作らない可能性が高い。


これからどうしていこうか、それを毎日考えている。




一つだけ言えるのは・・・感動的なストーリーに触れたいのであれば
映画を見ればいい。小説を読めばいい。


美しいアートを目にしたいにならば美術館に行けばいい。
キャラクターを楽しみたいのならば漫画やアニメを見ればいい。


音楽を聴きたいのならばレコードを聴けばいい。コンサートに行けばいい。




・・・それぞれの表現に最も適した"芸術"にもなれるジャンルの作品がある。
ループする同じシーンを繰り返すことやインタラクティブ性などはゲームの独壇場ではない。


ゲームだけの、ゲームにしか出来ない表現とはなんなのか?
そして、それを訴求している"ユーザー"なんているのだろうか?


ゲームは今、表現の縁にいる。そう感じてならない。