カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

戦い

皆さんはUndertaleと言うゲームをご存知だろうか?


3年ほど前にpcで発売されたインディーのRPGPS4やVitaにも移植され、
少し前にSwitch版も発売されている。
つまりは人気のゲームなので知っている方も多いだろう。


10月31日22時ごろより、Undertale公式twitterの予告通り開発者である
Toby Foxの新規プロジェクトが公開となっている。


自分はUndertaleを購入してはいるが殆どプレイしていない。
噂で聞く限り良いゲームなのだろうと思う。


ただ、自分ではプレイする気分にはなれなかった。
インターネット上にはいくらでもプレイした人の感想やネタバレが転がっている。
それらをひとかじりすればなんだかそれで満足してしまえるからだ。


誰しもゲームに限らずアニメでも漫画でも、その登場キャラクターを見て
自分とよく似ている奴がいると感じたことくらいはあるだろう。


自分にはそんなキャラクターが3人いて一人目は超人機メタルダーの『剣 流星』、
二人目は寄生獣の『泉 新一』そして三人目がゴッド・オブ・ウォーの『クレイトス』。


共通しているのは彼らの心は怒りと憎しみと悲しみで満たされていると言う所だ。
(ただし剣 流星に関しては憎しみの感情の発現は薄いのでやや異なるかもしれない)


話をUndertaleに戻すとこのゲームでは戦うこと=殺生することが物語と言うか
作品の表現の根幹にある・・・らしい。殆どプレイしていないので何とも言えない。


自分はゲームをプレイする時、そのステージに存在する敵キャラクターは
全て倒すようにしている。


ミッションのクリア条件に含まれていなくてもフロアの隅々まで回り
討ちもらしがないか確認してから先に進むようにしている。


敵ならば倒す。それが自分の流儀なので倒さないという選択肢は自分にはない。
誰彼構わず無差別に攻撃するという意味ではなく、敵でなければ傷付けはしない。


危ない奴だと思われるかもしれないがその様な性分なので仕方がない。


話をUndertaleに戻すと倒してはいけない可能性があると知って
それ以上プレイを続けることが・・・難しくなってしまっている。


人と人はみな友達になれる、争う必要はない。
ただその一方で概念としての『敵』が居なくなることはない。


自分の家族や友達が今まさに『敵』に襲われ傷付けられようとしているとしたら、
自分は一瞬の躊躇もなく全力を以て敵を攻撃するだろう。


それを正義だとも正当防衛だとも主張はしない。
暴力に対し暴力で立ち向かったというだけの話だ。法が裁くならば全て従う。


戦うということは・・・してはいけないことではない。
勿論自分勝手で一方的な暴力は許してはいけないが戦うことが悪ではないのだ。


では戦うことは善なのかと問われれば・・・そうだと答える以外にない。
戦ってはいけないと教えない以上、善だと答える以外にすべがない。
色々な意味で辛い。そして悲しい。


Undertaleはきっと良いゲームだ。多くの人にプレイして欲しい。
だが自分は・・・どうにも苦しくてプレイすることが難しい。
自分のような人間は戦いが終わった後に朝もやの中に消えていくのみだ。