カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

モノはコトに負ける(残念な事だが)

いきなり本題。

世はモノ消費からコト消費に変わったといわれ久しい。

モノ消費と言うのはマイホームやマイカー、或いは白物家電

オーディオ機器や美容機器など・・・それを持っている事が

ステータス足り得た時代の消費スタイルで

コト消費と言うのは物を持っているのは当たり前、

或いは経済的に余裕がないのでなるべく物を持たないようにし、

それよりも「どう幸せに暮らしているかの工夫をアピールする」

その工夫に対する消費を指す・・・としておこう。

 

モノには形がある。物質としての質量がある。品質の良し悪しがある。

だがコトはどうだろう?

 

コトには形がない。質量もない。そして品質の良し悪しもない。

前二つに関しては頷けるが品質のくだりに関しては意義がある、

と言う方もいると思うが、コトには品質なんてものはない。

 

何故ならば「幸せ」の「品質」そのものを競うのではなく、

「幸せそう」に見えさえすればもうそれで「勝ち」であるからだ。

 

だとするならばこれに抗うすべは無い。品質は問われない。

誰かが「好きで何が悪いのだ!?」と主張すればもう誰も反論できない。

 

だからモノはコトに負ける。

 

生活に余裕のある人は高級品とされるようなものにもお金を使うだろう。

高級とされるようなものであれば、恐らく品質は保障されている。

そこにはモノ消費もまだ存在しているかもしれない。

 

ただ、主役は物ではなく高価な物を所有する自分自身であるから

結局のところコト中心である事に変わりは無い。

 

生活に余裕のある人がお金を湯水のように使うのであればまだ良いが

実際は常識の範囲内に収まるような消費の方が多いだろう。

(オイルダラーみたいな人達は別格として)

 

無駄な金は使わない。使うならば自身のステータスアップに繋げたい。

そしてまた、モノからコトへと流れは変わる。

 

優れた職人や工房、芸術家にグルメに美男美女、品質高い物(人)に

投資して文化の維持に貢献しようとする人もいるだろう。

ただ・・・投資するのも投資されるのも、あくまでその中の一部に過ぎない。

 

最高級の素材を使って最高の職人が十分な時間をかけ作り上げた

最高品質のモノ、しかしそれを享受できるのもまたその中の一部で特別だ。

持てる者と持てぬ者。格差はまるで縮まらず。どちらが多数か?

聞くまでもない。

 

結局、品質は日に日に下げられる。

こんなに大好きな物をこんなに安く買えるなんて、なんて幸せなのだろう!!

 

誰もモノにはこだわらない。作り手の責任などお構いなし、

消費者自身の工夫の部分さえ整っていれば皆が満足してしまう。

それを持っているだけで幸せそうに見える表面に施されたプリントが

「美しい」だけのガワが型取りの複製商品がのさばることだろう。

 

モノはコトに負ける、それは経済的な豊かさを失っていく過程における

共通の出来事なのかもしれない。