カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

シューティングゲームとは(適当版)

過去に何度もテーマにしている『シューティングとは何か?』、

いつも読んでいるとあるブログでシューティングに関しての考察があり

灰汁浮いた脳細胞に刺激を受けたので、また少し書いてみる事にした。

 

シューティングゲーム・・・或いはSTGとも呼ばれるこのジャンルの

歴史は古く、現代においては生きた化石のような存在と言われる中で

しぶとく生き残り続けている。

 

その源流はアーケードにある。

シューティングゲームと聞けば広く世界的にはFPSやTPSを指すと思うが

これらの祖先は光線銃を用いた射撃ゲームで、ライフルなど銃を手にして

ターゲットを撃ち抜いていくタイプ。

 

オペレーションウルフやタイムクライシスバーチャコップなど

様々なメーカーから多数のタイトルがリリースされたが、どれもリニアで

コンシューマのゲームの様にフィールドを自由に進めるようなものは無い。

FPSなど現代シューターの遠い祖先ではあるものの、血の繋がりの様なものは

ほぼ無いのである。

 

アーケードでは馴染み深い縦や横スクロールの2Dシューティングゲーム

同様で、現代に様々な派生ジャンルを生みつつも取って代わる後継者は

出ておらずアーケード方式のシューティングが未だに作られ続けている。

 

アーケードゲームは複数人でプレイするものも昔からあるにはあるが、

基本的に1人で遊ぶものであり、又コンシューマーのゲームとは違い

ハードやソフトを買って遊ぶのではなく、1プレイに料金を払う・・・

遊ぶ権利を一定時間買うと言う事でレンタルにも近いサービスだ。

 

コインを投入しゲームを開始しても残機や残り時間が尽きれば

 プレイヤーは「はい終~了~!!」の掛け声と共にゲーム世界から

追い出され、留まる事は許されず必要以上に没入する事もない。

 それ故に勝とうが負けようが後腐れなく、また別のゲームに行ける。

 

ゲームセンターでプレイすると言う事自体が一つの娯楽であり、

一つのライフスタイルであり、一つのパッケージとして完結している。

 

だからこそ、アーケードに起源を持つゲームは『そこ』から離れる事が

出来ないのだ。もしアーケードの佇まいから離れれば途端にユーザーは

「そこがゲームセンターではないことに気付いてしまう」

 

シューティングゲームが時代に合わせて変わらず未だに昔のままの

ゲーム性をおおよそ維持しているのはその様な事からなのだ。

 

コンシューマーのみで発売されたシューティングゲームの中には

他のジャンルでは古くからあるユーザーフレンドリーなシステムを

取り入れたものも沢山ある。

 

それはスーパーマリオブラザーズ3のようにマップ形式でステージ毎に

挑戦出来る形式になっていたり、お金や経験値を貯めて自機を強化したり、

ゲームよりもストーリーやキャラクターを中心に楽しむことが出来たりと

多種多様なプレイヤー層に対応するよう振舞うが・・・正直そこまで

上手く機能しているようには見えない。

 

それは結局、縦スクロールにしろ横スクロールにしろ、進める方向は

決められた一方向のみだからである。

 

ゲーム自体が自由度を持たずとも遊びとして完全に成立しているが故に、

後付のシステムを組み入れ難いのである。

 

もし将棋に成長の要素があったら・・・それは既に『将棋』では無いし

駅伝で好きな区間のみを走ったとしても、それは既に駅伝ではない。

野球やサッカーで選手が試合をせずに観客にアピールばかりしていたら

どう感じるだろう?

 

他の分野では上手く取り込め、効果的にユーザーの満足度を高めてくれる

サービスであっても、それが全てのケースにおいて定石とは限らない。

伝統にそぐわないとか好き嫌いが分かれるとか、その様な話でもなく、

形の違うピースはどんなに強く押し込もうとも、綺麗に収まらないのである。

 

結局のところ、

シューティングゲームシューティングゲームでしかないのだ。

変わる必要は無い、変わらなくて良い・・・と言う意味ではなく、

靴下は手にはめなくても良いのと同じ事。

 

目的外の使用法が存在せず、世界を拡げられない。

滅ぶしかないのであれば滅ぶ。

 

誰かが細々とでも愛用し続ければ・・・惰性で続く。

 

シューティングゲームとはその様な存在なのである(適当)。

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シューティングゲームとは