カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

学校は「特別」ではない存在だからこそ特別足りうる

最近ネットを見ててよく聞く(?)話。

「今どき学校に通う奴は遅れてる、昭和のおっさんの発想」

みたいなやつ。

 

自分には思うところがあって

学校には通わないと言う判断は別に間違っていない。

ただ「俺は行かんけどお前らは絶対に行け」と言わないならば

クリエイター的にもお笑い的にも、きっと彼は凡人だろう。

 

世の中には身近に学校そのものが無くて通いたくとも通えない

子供達も沢山いる。

 

「別に通えるけれど通わない」が成立するのは、

そのインフラが既に整備されているからで、要は恵まれた環境に

育ったからそれを口に出来ると言う程度でしかない。

 

通えるけれど通わない選択をする事自体別に画期的でも無い。

いじめや精神的な苦痛などから通えない人も沢山いるだろうが

単に行きたくない・行く必要が無いと感じたから行かなかった

と言う人だって別に珍しくは無い。

 

それで中には成功した人もいるだろうし一生苦労した人も

居るだろう。

 

つまりオンリーワンでは無いよ。

 

特別な存在になる為には先ず特別では無い状態から始める事が必要だ。

 

え?君は最初から・生まれた時から特別な存在だったって?

じゃあこれからの人生は特別じゃなくなる過程でしかないね。