カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

たまにある無駄ばなし

そろそろヘッダの画像も変えないといけないななど、思う夏の夜。

世の中はオリンピックオリンピック・・・言ったか言ってないか、

兎にも角にも「それどころじゃない」と言うのが本音のようで

誰しもが自分の明日の事しか考えられなくなっている。

 

コロナが怖いならばワクチンを打てばそれでよい。

今はまだワクチンが不足しているので希望しても実際に接種出来るかは

解らぬが打てば命の泉湧く・・・とかなんとか、厄介な変異種の登場で

効果にも幾分の触れ幅があると思われるが接種すれば少なくとも重症化は

かなりの確立で避けられる。

 

「打ちたくない人は打たなくても良い」など言う人もいるが個人的には

可能であれば全ての人が受けるべきだと思っている。

 

大げさに聞こえるかもしれないが人類の、国家の存亡の危機なのだ。

 

打つ打たないは個人の自由かもしれない。

だからワクチンを打たないと言う決断をして感染し重症化したならば

その時は濃厚接触者にあたる人たちや治療にあたる医療スタッフ、

それらを調査し纏め上げる役所の人たちにちゃんと「ごめんなさい」

してワクチン接種の必要性を呼びかけて欲しいと思う。

 

なんと言うか昨今は「責任を認めない」と言うのが流行のようで、

兎に角言い逃れをし続けよ・・・との処世術。

 

つまり「自分自身が損をしてはいけない」と言う考え方だ。

かつて自己犠牲が美徳とされた日本人からすると大きな変化だ。

 

自分を大事にする事は人の権利を大事にする事であり、即ち

それは世の人々の幸福の度合いを高める事にも結びつく筈なのだが

これで良い方向に向っているかと言えばあまりその様には見えない。

 

「それでも昔よりも良くなったのだ」など言う人もいる。

でもそうだろうか?

 

自分には上手にはぐらかしつつ、

「既に負けが決まったと思い、逃げるタイミングを窺っている」

様にしか思えない。

 

負けて全てが灰となって消えるならそれも良いだろう。

でも実際は負けた後にも世界は続く。

 

その世界で生きる覚悟を、少しでもその後を良くして行く事を、考えるべきだ。