カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

非常にくだらない

アーケードの移植作品を語る時に一番多く取り上げられるのは

「最限度」だろうと思う。

 

自分もまたそうである。

最限度が高いのか、低いのか・・・それは移植作品の評価に直結する。

 

原作の存在しないオリジナル作品であるならば純粋にゲームとしての

出来を評価して貰えるだろう。

 

だがしかし、原作があれば先ずは移植の出来=再現度を見られてしまう。

そしてそれは原作とハード性能が近ければ近いほど厳しく追求の目を

向けられる。その筈である。

 

ハードの性能がオリジナルを再現するのに十分なだけあるのに、

それを再現できていなかったらおかしいだろう。

 

だが・・・ハードの性能がオリジナルに遥かに及ばなかったら?

 

よく槍玉に挙げられるのがマーク3版のアフターバーナーだ。

これは移植としての出来はあまり良くない。

それどころかゲームもマーク3版オリジナルの仕様となっていて

アーケード版とはもはや別物。

 

それを揶揄して「アウアーアーアー」などと呼ばれていたりする。

オリジナル版とは天と地ほどのハード性能の差があるのに?

 

恐らくはファミコン版を見た後で

「マーク3版のアフターバーナーの移植度は最低」などと思ったのだろう。

 

だが現実にはアフターバーナーのコンシューマー移植版はマーク3版が

最初である。もしファミコン版が先にあって、それを模倣したならば、

それは「ファミコン版の移植」なのだ。

 

誰がなんと言おうとアーケード版の移植はマーク3版が元祖なのだ。

 

当時、自分は予約して発売直後にこのソフトを入手した。

勿論その内容に首を傾げた・・・が、特別不満は無かった。

 

拡大縮小や回転機能どころか、さしてパワーがあるわけでもない

8bitマシンで最新鋭のアーケードゲームが動作するわけがないのだ。

もし、アーケード版そのままの物が遊べるのだと思っていたとしたら

ちょっとどうかしている。

 

マーク3版のスペースハリアーを見て心の震える感動を覚えた者ならば

その意味が分る筈だ。

 

マーク3で動作する筈のないスペースハリアーが・・・見た目や速度は

劣るものの、実際に動いている。優れた技術と飛躍したアイデア

時に我々の常識を凌駕してしまう。

 

マーク3のアフターバーナーではそう言った事は起きなかった。

だがしかし、あれはアウアーアーアーなどと呼ばれるに相応しい

代物だったのか?

 

そんな事は無い。

ぱっと見ではアーケード版によく似ているではないか!!

自機も大きいし画面も傾き360度くるくる回る。BGMも全曲ある。

 

つまり、大幅なダウンスケーリングが必須となる場合に

「何を残し何を捨てるか」の取捨選択が重要だと言う事だ。

 

マーク3版のアフターバーナーはアーケード版と同じゲーム性を

求めない代わりに「なんとなくアーケードっぽい風体」を醸し、

コンシューマー独自の要素を取り入れる事で一応の商品として

成立させようと試みたのである。

 

その試みは、ユーザーには受け入れられなかったかもしれない。

だがセガマーク3でアフターバーナーを発売すると言う挑戦からは

決して逃げていない。

 

それを「アウアーアーアー」などと笑う行為は非常にくだらない、

そう思うのだ。

 

昨今、オリジナルよりもハード性能の劣る機種にアーケードや

その他の機種のゲームを上手に、見事に移植してしまう人が居る。

それを見て「昔の移植技術は低い」などと安易に思うべきではない。

 

今の時代には強力なツールが多数あり、レガシーハードの研究も

熱心に続けられていて、時間も予算も・・・おまけに容量も無い中の

てんやわんやで開発していた時代とはきっぱり雲泥の差なのだ。

 

君はマーク3版のアフターバーナーを当時遊んでいたのか?

アフターバーナーを購入したのか?マーク3やマスターシステム

持っていたのか?

 

恐らく当時あれを楽しんでいた人も居た筈だし皆が皆、細かな差を

気にするほどアーケード版のアフターバーナーに詳しかったわけでも

ないだろう。

 

そもそもオリジナルは豪華な稼動筐体に入った最新のゲーム機なのだ。

そんなものが完全再現される筈がないのだと、皆知っていただろう?

 

だからこそだ。

再現度「だけ」を気にするなんてくだらないのだ。

 

「まあこんなものだろう」・・・そう思わせてくれる幸せもあるんだ。