カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

ロングかショートか?

もはやスマートフォンは生活に欠かせないレベルのギアとなりつつある今日この頃、
それが原因なのかはともかく、人々はあまり文章を読まなくなっているのではないか?


twitterやLineなどの短いメッセージをやり取りするタイプのSNSでは長文は向かず、
一口で伝わるフレーズがとても重宝する。


その他のネットのシーンでもコミュニケーションが単純化・記号化されている。
それが良いのか悪いのか?その判定はここではしないけれど・・・
恐らく、人の文章読解能力の低下は確実に起こっていると思う。


文章とは知識そのものであるけれど内容がどうなのかは読んでみなければ判らない。


もの凄い長文があったとして、そこに書かれている内容に価値があるのかないのか、
実際に読んでみなければ判らないのだとしたら、その内容に価値を見出す以前に
貴重な時間を費やしてまで『読む』か『読まない』かの選択をしなければならない。


読まないという選択肢がある以上、どんなに素晴らしい内容の文章・・・書物が
あったとしてもそれを全く読まない人は必ず居るのだ。


だとすれば、人を人たるものとさせているもの=知恵や知識は人自身からは
徐々に失われていくのだろう。


人は徐々に獣に近づき代わりに人工知能が人のポジションに付くのだろう。
スマートフォンが人で、それを使うのは知恵も知識も持たない獣であるかも知れず、
そういった外部デバイスと組み合わさって人と言う形態を維持する存在となるかもしれない。


世界中で対立が起きているのは何故なのか?
それを考えていて、ざっくりと言えばその様なことなのではないかなど。


文章読解能力は論理+想像力。文章には先人達の知恵や知識が記されていたりする。
論理もないし想像力もないならば、知恵や知識がそこに記されていたとしても
その重要性や価値にも気が付くことが難しいだろう。


ネットの中で起きている、時に理不尽な出来事は
実は人類の未来の日常を予見するものなのではないかと、ふと思った。