カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

「5か1か」の数値なき評価には「もう飽きた」

もう、何度も何度も同じことを言い続けてきているので

「このこと」に関してはもうこれで最後にしようと思う。

 

日本版通販サイトのユーザー評価の話である。

付けられる評価の最高が「5」で最低が「1」だ。

 

以前はユーザーの評価に対して「参考にならなかった」の投票が出来たので

サイト内でピックアップされる上位のユーザー評価は比較的平均を取ったものが

表示される傾向にあったのだが、参考にならなかったボタンを廃したことで

良くも悪くも支持を集めたものがダイレクトに上位に行くようになった。

 

5か1かの2択であるならばそれはYESかNOかの選択だ。

そしてそれは「評価」でもなんでもない。

 

右手と左手、どちらが好きか?「右手」?じゃあ左手はもう要らないね。

・・・などと言う感覚でどちらかを切り取られるような、そんな判定に

信頼を置くことができる?

 

YESかNOかの2択からは何も生まれない。

だってどちらかを切り落とす考え方だ。二つの内の一つが失われる。

 

選択肢が減るのでそれを問われる側からすれば頭を使わずに済み、楽ちんだ。

結局のところ「5か1か」に終始してしまうのはそれが簡単だからに他ならない。

5か1かの議論は簡単だから誰にでも出来る。

 

誰にでも出来る程度の価値判断基準ならば、なるほど。

確かに誰にでも理解でき、誰もが共感するのかもしれない。

 

でもそこには何の感動もない。結果だけを1行で知るようなものだ。

 

その作品がなぜ、どのような理由で優れているのか?

或いはどの部分がどのように改善されるべきなのか?

それらは細やかな観察と精緻な分析を踏み、段階的に語られねばならない。

真剣に向き合っていれば一口で語れるようなものではない筈だからだ。

 

世間的には何かを数値で表すことを嫌う傾向にあるかもしれない。

「冷たい」「味気ない」「共感し難い」「数値で表されると逆に信用できない」

様々な理由や考えがあることだろう。

 

でも数値は嘘を付かない。

人為的に嘘の数値を示されることはあっても数値が嘘を付くことはない。

それは計算によって求めることが可能なのが「数値」だからである。

 

「5か1か」と言う名の2択では計算をすることが出来ない。

0と0なら0、1と0なら1、1と1ならば2・・・だが、1か0かであれば

入力が有ったのか無かったのかを見張るだけだ。計算は必要ない。

 

今の理屈で言うならば思慮深さは計算の回数であるとも言える。

どうだろう?数値もそれほど冷たい感じはしないのではないか?

 

真剣に向き合えば瞬間の感情だけで推し量ることなど出来はしない。

自身に疑念も浮かべば葛藤も起きる。

 

そんな時に指標となっていくのが内なる「数値」だ。

数値は己の考えを整理していく上での手助けとなる。

 

YESかNOか?

いや、それはもう飽きた。

次回からはYESとNOを足してみてくれ。

 

それが最初の「数値」だ。