カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

計測の結果はともあれ、一先ず体験することは確実に面白いのだ

動画を見てもゲームを遊んだことにはならないし
そのゲームを理解したことにもならない。


ゲームを遊ばずに動画を見て満足する人が居るとすれば、
その人は『結末』が知りたいのだ。


例えば・・・映画やドラマの結末だけを調べておいて
誰かと話を合わせる・・・みたいなことだろう。


そんな人はゲームの面白さなんてちっとも理解してはいないのだ。


ゲームの面白さを理解していない=ゲームはつまらないを嗜んでいる。


ゲームを遊んで面白く感じるのは自分で勝ち得ていくからこそのものであるし
また、実際に手を動かして『操作する』ことによって得られる体験により
脳が興奮を覚える・・・ドキドキしたりハラハラしたり成功してホッとしたり、


そう言ったリアルタイムの感情の変化がゲームを遊んだときに感じる楽しさの
かなりの割合を占めるのではないかと思われるし、そもそも参加するのと
傍観しているのとでは温度差があって当たり前。


動画を見ている人は冷静に映像を分析しているでしょう。
手に汗を握ったり失敗して「あぁっ!!」と声をあげたりはしないのだ。
・・・する人も居るかもしれませんが程度に差はあるでしょう。


だから自分ではゲームをプレイせずに他者がゲームをプレイしている
動画ばかり見るようになればゲームはどんどん醒めたものになるでしょう。


ゲームのヘイトはこうやって生み出され蓄積されていくことも・・・
中にはあるのかもしれません。


そりゃあそうでしょう。
だって自分は参加していないのですから。


誰かとゲームの話題を共有したい・・・そう思うこと自体は
全く持って悪いことではないでしょう。


でもゲームって言うものは実は自分で作り上げていくものなのです。
だから最終的には実際にプレイしてみなければ面白くなりようがないのです。


誰かが動画投稿サイトに上げたスーパープレイやネタプレイを鑑賞したり
実況を見たり、オーディエンスとして『参加』する楽しみ方もあると思います。


ただそれは・・・ゲームそのものの面白さでは・・・ないですね。


それも一種の体験ではありますが、それは
『ゲームをプレイしている人の物語』をドラマで追体験している・・・
ようなものなのだと思います。


ゲームではなくてプレイヤーを主人公に見立てたストーリーなわけです。
そういった場から題材となったゲームを知り興味を持つこともあるでしょう。


動画を見た人が実際にそのゲームを遊んでくれれば良いのですが
まあそういったことが、有ったり無かったりでしょう。


全く無いよりは随分いいとは思いますが、そこで満足してしまう人が、
残念なことに少なくはないのではないでしょうか?


良し悪しと面白さは似て非なるものです。


ゲームの良し悪しはゲーム体験の『面白い』or『面白くない』とは
必ずしも一致しません。


良いゲームでも体験が面白くない場合も有れば
悪いゲームでも体験が面白い場合もあるからです。


ですからゲームは実際に遊んで『楽しんで』ください。
それが一番良いことです。


良し悪しは・・・人の感情とは別の次元に置くべきです。
それらは計測ののちに数値で表されるような、同じ計測で同じ結果の得られる
ばらつきのない、『根拠ある評価結果』で必ずあるべきです。


そこで良しとされたゲームをあなたが嫌いでも、
悪しとされたゲームがお気に入りであっても、
誰かを恨むべきではないしそれは人の感情とは別の次元。


ゲームを楽しみたいのなら・・・理性と感情は住み分けしましょう。
つまらないを嗜むのは・・・段々とやめませんか?