カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

むだばなし。

徐々に徐々に、ではあるけれど制作を再開させて行けるだろう。
モチベーションも上がってきているし季節も少しずつ良くなってきているし。


だが一つだけ足らないものがあるとすれば、それは機運なのかもしれない。


レガシスウェアはたまたまメンバー皆がシューティングが好きだという事で
シューティング中心に制作を行ってきてるけれどシューティングを作る為に
集まったパーティーではないので、勿論チャンスがあるならば他のジャンルにも
果敢に挑んで行きたいと思っている。


シューティングゲームはこの1・2年、SNSやニュースサイトなどでも話題に
上がるような注目のタイトルが出て活気があった。


ただ、どうなんだろう?コアなファンが狂喜した一方でそのブームは他に
波及を見せたのだろうか?


本来であれば成熟したユーザーに支えられた手堅いジャンルである筈だが、
その盛り上がりは思ったほどでもなかったように感じる。


閉塞感を感じるのは今に始まったことでもシューティングに限った話でもない。
ただなんと言うか・・・インターネット上の悪い空気に当てられたような、
理解していてマナーを守らない・間違った主張でもそれを主張し続けることにより
市民権を得られるとでも言いたいのか?


そのような恥知らずな風潮に世の中は満ちていて冷静さを欠いているように思う。


話をゲームに戻せば各ジャンル、文化としての魅力を伝える努力よりも
必要過多に他者を攻撃することにより内に対しては団結を高め外に対しては
攻撃の的となることにより注目を高める、所謂炎上商法のようなものが
蔓延しているように感じ、非常に危機感を抱いている。


衝突は疲弊を生む。『炎上』の文字を見るがいいだろう。残るのは消し炭だ。
内に居るものも外に居るものも衝突の度に疲弊し双方力を失っていく。


誰が得をするかと言えば、それは恐らく仕掛けた最初の一人だけであって
それに乗せられた人々は誰一人として得などしていないのである。


今、シューティングゲームに機運があるかと聞かれれば「残念ながらあまりない」
私はそう答えるだろう。


それは流行り廃りの問題では既に無く、今と言う時代の悪い風が
ユーザーコミュニティに対し悪い影響をもたらしているのかもしれない。


そんな状況下では「彼らのためにやってみたい」と言う気持ちは残念ながら
多くの場合は沸き起こらないのではないだろうか?


時に思う。
文化は送り手の手中にのみ委ねられるものではないと。
受け手の情熱と言うものも、時には必要なのではないだろうかと。


文化に対し健全であって欲しいと望むならばユーザー自身もまた、
健全であるよう努力すべきなのではないだろうか?




※個人の感想です