アンパンチは暴力か?
アンパンマンのアンパンチは暴力なのか?と言うテーマが話題に上がっていた。
アンパンマンの説明は不要だと思うが、勿論やなせたかしの人気絵本のことだ。
結論から言えばアンパンマンの拳は正義の拳。だから暴力ではない。
そこに義があれば力でねじ伏せて解決することは正しい。
そうでなければ警官はひったくり犯一人取り押さえることができない。
・・・そもそも相手を蹴ったり殴ったりすることは暴力なのか?
と言う疑問が湧く。
暴力の概念までは知らないが少なくとも「手が当たってしまった」ことだけで
それを暴力と呼ぶべきではない。
例えば街角で不意に振り上げた腕が通行人の肩にぶつかってしまう様なことは
十分あり得ることだし、もし台風のような極度に強い風が吹いていれば
風にあおられた腕が誰かの顔面にスマッシュヒットしてしまう事だって
全くあり得ないことではない。
仮に今挙げた例を「事故」だとするのならば意図的に手をぶつければそれは
全て「暴力」なのか?
例えば空手やボクシングの試合で相手選手に突きやパンチを叩き込むことは
暴力なのか?
もしそうであるならばその様な競技は平和の祭典には採用されないだろう。
つまりここで問われる「暴力」とは押しなべて善悪の事であると解釈できる。
善悪は双極であるから悪の拳が暴力であるならば善の拳は暴力ではない。
つまりアンパンマンのアンパンチは正義の拳であるから暴力ではない。
問題にしたいのは「暴力」ではなく「暴力的」と言う言葉の方だ。
アンパンチがらみで最初に聞いたのは「アンパンチは暴力的」と言う様な
フレーズだった。
アンパンチは暴力的か否かで言えば暴力的だとも言える。
『相手をぶん殴る』と言う事実があるからだ。
しかし「○○的」は「○○」そのものではない。
例えば「社会的」は社会ではない。例えば「比較的」は比較ではない。
「攻撃的」は攻撃ではないし「定期的」は定期ではない。
その様ではあるが、そのものではない。
暴力的が暴力であるならば先に挙げた街角で不意に振り上げた腕も暴力だ。
満員電車で足を踏んでも暴力だし、なんでも拡大解釈し放題になる。
声を出しても暴力、汗を拭いても暴力、バスのつり革につかまって暴力、
エスカレーターのベルトに強く引っ張られて暴力、ジャムの蓋が硬くて暴力。
○○的には際限がない。なにしろ「それっぽい」だけで全て対象となってしまう。
だとすれば「アンパンチは非暴力的である」も成立させられないことはない。
しかしそんなものは言葉遊びに過ぎない。
『暴力的』なんて概念は実際どこにもない。
善か悪かで言えば理由もなく誰かを殴る事は悪。
でも相手に非がありそれを気付かせる為に必要だと言うならばそれは善。
だって善も悪も人間が勝手に決めたこと。
だったら暴力が悪だなんて決めなければ良い。
え?そんなの暴力的な見解だって?
そうだよ、その程度の話でしかないさ。時間の無駄。
「○○的」なんて「それっぽいね」ってだけだから。
※追記:義があれば暴力も正しいと書いたけれど義があるのは
法に定められた、それを執り行う資格を持つものだけ。
正しいと思えば誰でも力を振りかざして良い訳ではない。
誤解なきように。