カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

特になんにもないがいいね

最近こんな言葉を耳にした・・・最近と言っても半月ほど前か?

twitterは狂人が一日中叫び声を上げる場だ」とかなんとか、

同じような言葉で有名なものに「2ちゃんねる便所の落書き

と言うものもある。

 

正直そう言う考え方は好きじゃない。

(ただ、「2ちゃんねる云々」に関しては必ずしもネガティブな

意味合いで言われているわけではないらしい)

 

世の中には様々な人達が暮らしていて、あるコミュニティで

幸せに楽しくやっている人がいる一方で、そこに呼ばれる事も無く

太陽に背を向けて暮らす人達もいる。

 

だから様々な人が社会的な上下に関わりなく本音で語り合える場所が

あるという事はとても素敵なサムシングだと思うのだが、その一方で

そこを利用している人自身が「便所の落書きだ」などと吐き捨てるのは

あまりにも理解が無さ過ぎるのではないかとも思う。

 

どんな場であっても大事にするべきなのはいつもそこにいる人達。

自分達で粗末に扱えばそこは粗末な場所で固定されるしかない。

 

そう言えばtwitterに『いいね』ボタンの他に『よくないね』ボタンを

搭載する計画があるらしいが、そもそも「いいね」ボタンも自分は

そこまで重要視していない。

 

自分が誰かのツイートに「いいね」をする時は純粋に「いいね」と

思ったときだけである。「凄い」でも「好き」でもなく、「いいね」だ。

そのくらい気軽な気持ちだ。気軽な気持ちで押すのでどんどん押す。

 

でも人によっては「この程度でいいねを押して貰えると思うなよ」

みたいなスタンスの人もいる説がある。

 

「いいね」の感情なんて出し惜しみをするものでは無いし、しない事が

カッコいいわけでもなんでもない。

 

だとするならばその数が多ければ立派だとか言うものでも無い。

・・・まあ自分はされないので自分に関してはマイナスの立派さがある、

と申し上げても齟齬は無いだろう。

 

「よくないね」に関しては自分は「いいね」と「よくないね」に

二分するのではなく、「いいね」と「よくないね」の間にスライダーを設け、

パーセンテージで投票出来るようにすれば面白いのではないかと思う。

 

ボタンを押された人には押された事しか通知されないので押した人も

押された人もあまり気をもむことが無いだろう。

 

そもそもいいねを沢山押されているから自分も安心して押せる・・・

などと言う人も案外少なくないのではないか?

 

既に誰かが評価しているから信頼出来る、品質が確かだ、など思うのは

逆を言えば自分単体の判断力ではそれが優れているかそうでないかが

判別出来ないと言う事にもなる。

 

だから結局何が言いたいのかと言うと、別に特になんにもない。

特になんにもない・・・と言うのが一番気楽。それだけである。