カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

楽しいゲームと楽しくないゲーム

ちょっと番外編みたいな?


この間SteamでPC版の『Cubway』と言うゲームを購入した。


特に日記に書こうとは思っていなかったんだけど・・・あまりに
イラっとさせられたのでイラっとさせられた恨みつらみと言うか、
このゲームを遊んで感じた不満を挙げ連ねつつ感想などを書いてみたい。


先ず、購入は8月14日でこの日の夜、25面(Skyscrapers)まで進めて、
そこで躓きそして一日置いて16日、つまりこの日記を書いている今さっき、
このゲームを36(the pier)までクリアした。


そこで『To Be Continued』の文字が表示され、全実績が解除されて
一応のクリアとなった。


Cubwayと言うゲーム自体、悪いゲームではない。
独特の落ち着いた、白と黒の織り成すモノトーンで幾何学的な世界と
その背景に映り込む(プレイヤーキャラクターの移動に合わせて徐々に現れる)
同じくモノトーンの写真・・・これが恐らくこのゲームの物語を象徴するのだろう、


そして起動時にヘッドフォンを使うよう促されることなどから見えるのは、
このゲームが音楽を中心とした叙情的な映像アートであると言うことだ。


肝心のゲーム内容はと言うと、マウスの右クリックと左クリックを繰り返し
プレイヤーキャラである赤いカーソルを前進・後退させながら障害物を避けつつ、
チェックポイントの役割である赤い小さな丸印を全て通過して、二重四角の
ゴールを目指す・・・と言うただひたすらシンプルなもの。



移動は上下左右ではないです。移動できるのは見えない『線』の上だけ。
つまり、本当に前進と後退しか出来ない。
(終盤、操作方法が左クリックで動作開始、左ホールドで停止に変る)


今さっき映像アートと書いたけれどゲームとしての構造は殆ど持っていないです。
所謂『死にゲー』に分類されるゲーム性で、そのシーンをクリアするまで・・・


つまり死なずに無事ゴール出来るまでただひたすら同じシーンを繰り返させられる。
はっきり言って楽しくないです。


ゲームとして作られているのであればそこにはゲームバランスと言うものが
思想として垣間見えるはずなのですが、そういったものを感じることは殆どなく、


このゲームはただただ失敗を繰り返すことが目的であるようです。
ちなみに・・・この日記はCubwayを批判するものではないです。
(かと言って褒めようとも思っていない)




映像と音楽を楽しむためのものならばクリックするだけで何の障壁もなく
最後まで進める方が適しているはずです。


けれどCubwayは非常にシビアで難易度の高いゲーム(映像作品)なので、
すんなりクリアできるのは序盤だけ、中盤以降は一度失敗することで
ステージの仕掛けを順に理解していくことになり、見た目のシンプルさも
相まって非常にストレス・フルです。


ただ・・・プレイヤーがミスをひたすら重ねることも作品の一部に
組み込まれているようなので、これはつまりこう言う作品・・・
映像作品なのだと思いますね。


背景に表示されていく写真を見るに、どうもプレイヤーは何かから
逃亡しているようです。


犯罪者なのか?スパイなのか?現実からの逃避旅行なのか?
或いは亡命者?


その辺は描かれていないので想像に委ねていくしかありませんが
その逃亡劇は非常に困難なものです。


なんと言うかプレイを進めることで精神世界に入っていくような
もしかしたら何かイニシエーションか瞑想のようなものかもしれません。


でも、そのようなものを求めていないのならば単なる苦行です。
正直面白かったとは思えません。


このゲームを遊んでいる最中口から吐き出されたのは開発者への
『呪いの言葉』だけです。


正直コリジョン判定が必要以上に無駄に厳しすぎる。


ただ、先ほどから何度も言っているように映像作品
・・・つまりアートですから、プレイヤーを楽しませることは
主要素ではないのでしょう。


だから楽しくないゲームだと思いますね。
でもそれでいい。Cubwayはそんな割りきりを買うゲーム。




ちなみに一緒に『Hook』も購入しましたがこちらはすんごい楽しかったです。
こちらも同日、一度も詰まることなく着々進めて全ステージクリアしました。


少し前に発売された新作『Klocki』も面白かったし、
この方のゲームの大ファンになりましたよ!!




世の中には楽しいゲームと楽しくないゲームがある。
でも・・・どちらも正解で、それをプレイヤーが受け入れるかどうかが
そのゲームの成否を握っている。


でも・・・どちらも正解で、それは物語の結末が
ハッピーエンドかバッドエンドかの違いのようなもの。


作家の思い描いた物語自体には成否はないのです。