カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

自信を失うとはどう言うことか?

・・・それは分らない。
何故ならば自信を持ってやっていた事も特にないし、
自信が持てず悩んでいたことも特にないからだ。


「自分に自信を持つ」とか「自分に誇りを持つ」であるとか、
そのような感情をプライドと呼んだりするのだろうか?


大分の以前、プライドに関しては簡潔に述べている。
プライドがあればどうなのか?無いと何がどうであるのか?


正直無くて困るものでもないと思っている。


プライドなんて持つ必要など無いと言いたいのではなく、
プライドを持たんが為に、裏づけを得ようとすることには意味が無いと
そう、言いたいのだ。


自分に自信が持てないという人は案外少なくないだろう。
それは割と普通の悩みだと思う。


自信を持っている人など、言うほど多くはないものだ。


自信を持っているように振舞う人の多くは自信があるのではなく、
『失敗しても構わない』と思って行動しているに過ぎない。


死を覚悟するものは既に死を恐れない。
たったそれだけのことなのだ。


自信?ないね。
失敗しちゃうかもしれないね。


でもいいさ。だってそれをしたいと思ってここに来たのだから。




・・・自分の過去の作品を見て、色々と思うところがあった。
今と以前とで、どちらの感性が勝っているだろう?


勿論今だと言えればいいが、それは自分には分らない。
分らないけれど少なくとも、判断を誤ったとは思ってない。


良い物を作りたい、面白い物を作りたい、
その思いは全く変っていない。




ゲームのトレンドは月日の流れと共に変っていく。
かつて大人気だったものが数年後、もはや見向きもされないなんてことは
ざらにある。


シューティングゲーム(シューテムアップ)は
かつては日本で一番人気のあるジャンルのゲームだった。


でも時は流れ、
今は世に数多く存在するクラシックゲームの中の1カテゴリに過ぎない。


人気がなくなった、衰退したなどと表現する人もいるけれど
そうじゃない。『旬』じゃなくなったんだ。


今時のゲームの旬は何かと言うと『安全な場所から一方的に勝つ』
これだろう。


実力がなくても予め予習・復習して準備しておけば
自分の何倍も実力のあるような相手すら、安全にいたぶることが出来る。


先んじて準備しておいたのだからこの作戦には自信がある。


だが・・・それは本当に勝利なんだろうか?


正しくは「負けるはずがないという算段」であって
もしかしたら、勝負はしていないのではないだろうか?


ゲームと言うのは勝ち負けが分らないものだと思っている。
勝つことが解りきっているならば、それはもうゲームじゃない。
消化試合だ。


自信を持ちたいと思うも結構。
だが、その引き換えに失ってしまうかもしれない情熱を、
何よりも大事にして欲しいと私は思う。


自信を失うとはどういうことか?


失敗する喜びが無くなると言うことだ。