4月28日に遂に日本でもマリオの映画が公開となった。
先行して公開された北米では既に大人気で相当の収益を上げた模様。
んで、公開前の映画評論は辛口でスコアもそれなり。
当然世のマリオファンやオタク層は反発する。
「意地の悪い評論家は口を開くな、ペンも握るな」・・・と。
公開後には鬼の首を取ったような「映画評論家ざまぁ!!」な
コメントがSNSには幾つも見られた気がする。
(別に一つ一つコメントを追ったわけでは無いので想像です)
しかし・・・評論とは相対(そうたい)です。
過去に存在する全ての作品と見比べながら、この作品はどうなのかと
論者一人一人の分析を述べるのが評論でありレビューなのです。
映画ならばコメディーもあれば恋愛ものもあるし、アクションもあれば
シリアスな実話ものもある。
それらを・・・ジャンル分けせずにひっくるめて比較するのが評論です。
ジャンルごとに分ければ良いと思うかもしれない。
でもそれでは「映画の評論」にはなりえない。
この世に存在する全ての映画と見比べて初めて映画を論じていると
言えるからです。
映画に内包される全ての要素・・・シナリオだったり演技だったり、
美術だったり音楽だったり、或いは映像そのものやテーマ、芸術性、
諸々を一つ残らず並べて判定する、何故ならば映画は「総合芸術」
だからです。
どんな作品でもオタクの心に刺されば満点なんて考えは許されません。
何故なら評論の場において論ぜられているのは「芸術論」だからです。
ところで・・・映画のメタスコアに関してはエンタメ系の作品は
芸術性やテーマ性のある作品よりも低くなるのが通常です。
歴史に名を残す名作映画と娯楽作品、点数を付けるとしたら、
どちらが上かなんて言うまでも無いでしょう。
と言うわけで「評論家の言う事なんて全てデタラメ」みたいな話には
耳を貸す必要は無いです。
更に言うと「スコアが低い=駄作」と言う事でも無い。
評論とは評論を望む者以外が見聞きする事を受容しはしないのです。
むしろ「評論」と「好み」を一緒くたに語っている人が居たら、
そっちを警戒すべき。
評論やレビューは「好きを語る場」ではないからです。
まあ映画をあまり見ない、何かを論じる立場にも無い、知見も無い
自分がこんな事を書いても誰の心にも刺さらないでしょうが。