共有できない時代
『若者の○○ばなれ』などと言う言い回しはあまりに使われ過ぎて
聞き飽きてしまったが、若者に限らず「テレビなんて見ない」自慢、
「Lineなんてもうおじさんしかやってない」自慢に「タイパ」自慢、
「Youtuberオワコン」自慢などなど、一時代を築いたものを過去にして
自分は最先端を歩いているアピールに余念が無い。
若者はゲームボーイを知らないしテレホンカードも分らない。
知らないかもしれない。
一人一台のスマホに手元で何でも即座に手に入れられる時代、
同じ世代であっても体験しているコンテンツはバラバラで
世代が違えばその差は歴然、共通の知識や共有できる体験なんて
数えるほども無いかもしれない。
だからこそ久々に日本中が熱狂できたWBCは盛り上がったわけで
「ばえの時代」「バズりの時代」と・・・SNSで他者と共有する事が
ステータスと言われ続けながら見てるチャンネルは個々で異なり、
上っ面の共感を維持する為だけに義理コンテンツを倍速で消費し、
それでもカバーできない箇所はまとめサイトで履修する・・・
果たしてそれを本当に「同じ時代を生きている」と呼べるのだろうか?
あやふやで無責任な時代をなんとなくの知ってるそぶりでやり過ごす
我々は様々な情報をSNSなどで共有してはいるが、実際は何一つ
共有できてはいないのかもしれない。