カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

知らんけどね

もう少しで完成版(ソフトとして完成した、と言う意味ではなく、

ここからここまではやる・・・と言う基準点に到達したと言う意)が

公開出来そう。

 

このソフトは良いものかどうかは不明。

少なくとも「こんな物が欲しかった」と喜ぶのは作者以外には

一人も居ないはず。

 

ただ作っててめっちゃ楽しい。

開発序盤は興味が全然持てなくて全く捗っていなかったけど

こんな事出来るかな?・・・がほぼ全て出来たので気分が乗って来た。

 

こう言うのを「自慰行為だ」などと言う人もいるかと思うが、

それは違うだろと。

 

自分の事を芸術家だなどと言うつもりは無いが、陶芸家が焼き物を

作るのは生活の為では無いしユーザーの期待に応えるためでは無い。

画家も、彫刻家も、写真家も、多分みなそうだと思う。

 

オタク界隈では、オタクの為に行動しない者は敵と見做すような

風潮があるように思う。だから美男美女コンテンツで溢れかえる。

 

趣味嗜好は違っても皆、可愛い女の子やカッコいい男の子は好きだよね?

じゃあ応援してよ、いいよ応援するね!・・・と言うところだ。

 

真面目なだけの奴は損をする。仲間も出来難い。

 

まあそれで良いと思う。

俺の作りたいものを作らせないとしたら、俺自身を殺そうとしてるって事だ。

 

エロもグロも無い、娯楽も無い。

じゃあ何の為にそれに付き合わなければならないの?

・・・と言う殆どの人たち。

 

俺にはつまらんのよ。そんなものは。

 

病んでる人の方が面白いものを作る・・・なんて事を言う人も居た。

それははっきり言って違う。

 

面白いものを作れるのは「面白いやつ」だけだ。

 

病んでいようがいまいが、そいつがの中身が面白いから面白いものを

作れただけだ。

 

ゴッホムンクの絵はユニークだし人の心を強く揺さぶってくる。

でも多くの場合、良い絵として名前が挙げられるのは巨匠とされる

人ばかりだ。病んでいた人も癒えれば凡庸となるかもしれない。

 

何かに縋りたい人たち(つまり自身の外側に存在の肯定がある人たち)は

成功例だけを見て「このような例があるのだから自分は間違っていない」

と考えたがる。

 

自分の内側に存在の肯定を持つ者は「自分が間違っていても良い」

と思っている。

 

面白いか面白くないかはお前らで決めれば良いよ・・・と。

それをしている俺は面白いから、明日突然死んだとしても後悔は無い

・・・とね。