カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

説教を嫌う世界

今の世の人は説教が嫌いらしい。

要するに「怒られたら腹が立つ」と言う事だ。

 

説教されて腹を立てる前に目の前の相手は何を言わんとしてるのか?

考えた事はあるか?それを考えようとしないのは言葉を解する事が

出来ないからでは無いか?

 

例えば「エモい」と言う言葉が示すのは「物事を不確かなままにする」事で

何も考えずに済むようにする人の退化の足跡だ。

 

「論破」や流行りの「それってあなたの感想ですよね」なども然り。

その反論に到達する迄の道筋を全く示さずに便利な言葉で黙らせようとする。

タイパ・コスパなども同じ方向性で纏められる。

 

どれも考える回数を減らす事を目的とした単純化と言っていい。

既に平均的な人の情報処理能力は限界に達しているのだ・・・。

 

古来より人は世の事象を、人の営みを、英知を、後世に伝えんと

言葉を紡ぎだし続けてきた。

 

その時代、世は不確かな事ばかりで、人は僅かでも世の理を

説明せんとして持てる限りの知恵を絞り出し、ものに、現象に、

名前を与えたのだ。

 

しかし今や世は言葉を嫌い、感覚などと言う頼りなく甘い香りのする

毒に進んで口をつけた。

 

だから滅んだ。

 

言葉なんてたいしたものでは無い。そこには人を見下ろす意思などない。

それを説教であるなどと考え、腹を立てるのは言葉を否定する、言葉の

存在していなかった時代を取り戻さんとする人間の退行欲に他ならない。

 

何もかもが解ったかのような気分にさせてくれるその装置は言葉を減らし

考える回数を減らすのに一役かってくれる。

 

こうして人は滅んだのだと後世に伝えてくれるのは恐らく人間ではないのだろう。