神が好きなの?
ゲームに限ったことでは無いが、『神○○』と言う言い回しが
定番となって久しい。
神が何かを言い表す時の最高位の「冠」であるならば神の上は
存在しないと思われる。
と言うことは「神ゲー」は究極のゲームと言うこととなる。
詰め寄れば「もちろん私にとっての・・・です」とかわされる。
それなら良いじゃないかと思うかもしれないが、だったら
「神ゲー」などと言わなければ良いではないか?
何故「好き・大好き」と言う言葉を使わない?
今、世の中は「好きを語ること」を美徳としているのでは無いのか?
「好きの最上級が『神』です」など言われたとして、
そもそも「好き」に段階を加えることに違和感を感じる。
誰にだって「割と好き」「好き」「かなり好き」「大好き」くらいは
好きの段階があるだろう。しかして、よくよく考えれば「割と好き」と
「好き」の差は小さいと言うのはなんとなくピンと来るのでは無いか?
自分の中ではランク付けがされていたとしても実際はどれも
「好き」の範疇にあって同じ脳内のビンにしまわれている筈だ。
先にちらと例に挙げたサンダーフォース4は大作だがゲーム的には凡作だ。
難易度調整もイマイチだしステージ数も多く更に1ステージも長い。
ステージ数を半分にする(ルートによって通らないステージを設ける)なり、
1ステージの尺を短くするなりすれば、ゲームをもっと面白く出来た筈なのに
用意した全てのシーンや敵やギミックを1プレイに押し込めたが故に、
全量を飲み込むのが大変なゲームになってしまった。
好きなゲームがあれば「好きだ、大好きだ」と叫ぶのが一番伝わる。
なのに「神」などと言ってそれをぼやかそうとする。
そのことが「好き」を下げてしまっていることに気付いていないのだ。
『神○○』は究極の表現と言うよりも「え?○○好きなの?」など
冷やかされた時に自身が傷付かなくても済むようにする為の保険だ。
この世に神なんて居ない。神とは「神を名乗る人間」だ。
人間が好きなんてベタで気恥ずかしくてなかなか言えない。
そんな時に「神」とでも言っておけば・・・
いや知らんけど。