カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

弾幕苦手三昧

人にはそれぞれ得手・不得手がある。

得手と不得手では不得手の方が第三者に、より理解してもらい易い。

 

不得手だと告げられて無理に勧める必要はないからだ。

でも得手の方は実際あいまいでそれを口にする本人でさえ、

本当に得意なのかどうか判然としないのではないだろうか?

 

自称『得意』に基準はない。

得意は得意でもどの程度得意なのか、上から下まで幅があり、

得意であると伝えられた第三者がそれで納得するかどうかまでは

分らない。

 

自分は弾幕シューティングが苦手であるがどの程度苦手であるかと言うと

コーヒーにマヨネーズを入れたものくらい苦手だ。

出来れば避けて通りたいものだがシューティング好きとしてはそうもいかない。

 

苦手を克服するべく(実際はそのような意図で取り組んではいないが)、

鬼門の弾幕シューティングにも挑戦しているが未だ上達はしていない。

 

聞くところよると弾幕シューティングはプレイヤーの当たり判定のみならず

弾そのものも中心部以外には接触判定を持たないものらしい。

 

巨大な弾丸であっても中心に近い部分以外は触れてもミスにはならないので

弾速の遅いこともあり初心者でもプレイしやすいのだそうだ。

 

そうか。それなら安心ね!!

 

・・・だがしかし、

それを聞いても自身の弾幕シューティングに対する苦手感に変わりはない。

 

巨大な弾丸の中心にしか殺傷力のない武器を使う意味が解らない。

プレイヤーの判定が小さいのはまだ分る。

コアの部分にダメージを負わなければ即死は避けられるから、と言うことだろう。

もしかしたら大きいように見えて実は周囲はラッピングのようなもので

触れてもしなって表面をなでるだけだからなのかもしれないがしっくりしない。

 

まあその様な屁理屈は実はどうでもいいことなのでそろそろ本題に入ろうと思うが

自分が弾幕シューティングを苦手と感じる最大の理由は窮屈さだ。

 

フィールドを広く使いたい。コートの端から端までを一気に駆け抜けたい。

そう言う本能を弾幕は容赦なく遮ってくる。

 

「当たらなければどうと言うこともない」なんて台詞はまやかしだ。

本音で言えば自分は一発たりとも避けたくないのだ。

 

こんな風に考えてみると分りやすい。

砂浜にコートを作りそのコートの中に触れると減点となるポールが立っている。

そのポールを避けながらコート内を縦横無尽に駆け周りドッジボールをするのが

弾幕系のシューティング、

 

割れたガラス瓶が無数に散らばる砂浜でそれを踏まないように慎重に避けつつ

互いに移動しながらキャッチボールをするのが弾幕系のシューティング。

 

反論のある人も居るだろうけれど、少なくとも自分にとっての

弾幕シューティングの認識はこのような感じだ。

 

割れたガラス瓶の散らばる砂浜になんてそもそも入りたくない。

 

弾幕シューティングが好きな人はこれを苦手だと言うプレイヤーに対し

その苦手感を取り除こうと真摯に魅力を語ってくれはする。

 

ただ、やはり自分には入る前から窮屈に感じられてしまう。

こればかりは相性だとしか言いようがない。

 

ただし弾幕シューティングが嫌いだと言うわけではない。

苦手は直す必要などないが嫌いではないのだから遠ざける必要もない。

 

かくして、今日もまた苦手なゲームに取り組みそして惨敗している。

 

いつの日か、苦手であっても得意であると公言するプレイヤー達と

互角に渡り合える弾幕シューティングに出会えたなら、きっとその時は

弾幕シューティングも悪くないと、そう素直に言えるのかもしれない。

 

それでもまあ得意になることは・・・なさそうだけれど。