カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

黙して目す

ロシアがウクライナに侵攻した。

大義名分も一応の名目すらも無く、一方的な宣言によって

他国の主権を侵す事が「可能なのだ」と知り、世界が項垂れた

その瞬間を目撃した。

 

ヨーロッパの周辺国やアメリカだけでなく、ロシア国内からも

戦争行為に対する非難の声が上がっている。

 

しかし唯一、世界一の国家を目指すと言う中国からは何の声も

聞こえてこない。

 

自分がチャンネルを開いていないから気付かなかっただけかも

しれないが、北京オリンピックが閉幕し、今現在パラリンピック

真っ最中であるにも関わらず戦争行為を咎めずにいるとは、到底

信じられない気分だ。

 

我々の国とは国民性や社会ルールが異なるとは言え、

戦争が良い事では無いと誰もが知っているだろう。

平和を訴える事は普遍的な叫びではないだろうか?

 

国や国の代表がそれを言わなかったとしても一人一人の国民は

何故声をあげてくれない?

 

平和を訴える言葉を禁ずるような国がアジアのリーダーを気取るのか?

 

人は国家に属してはいるが国そのものでは無い。

おかしい事には「おかしい」と言うべきではないのか?

儲けてたら偉いのか?

「金を儲けてる人間が一番偉い」・・・どこかでそんな言葉を聞いた。

 

金を儲けている人にも良い人も居れば悪い人も居るだろうし

儲けていない人・貧しい人の中にも良い人も悪い人も居るだろう。

 

では「偉い」とはなんなのか・・・?

 

辞書は調べていないが恐らくは『世に貢献した人』を「偉い」と

言っているのだろうと思う。

 

生まれながらにして身分の高い人はいる。

しかし生まれながらに「偉い」人など居ない。

 

そもそも「偉さ」とは自分で語るものではなく、他者による評価の

最上級表現の一つではないか?

 

だから自分で自分を「偉い」などと言う者は手にした鏡が歪んでいるか

その評価を他者に要求しているかのどちらかではないかと思う。

 

金を持っている人を見て「凄いなぁ」「羨ましいなぁ」と思う反面、

その金を人の為、社会の為に役立てているのか?

多くの人を養い地域社会を支えているのか?などとも思い、

それが出来ている人は尊敬の念を持って「偉いなぁ」と思う。

 

金を儲けていても自分や身内、自分に忠誠を尽くすものにだけ

施しをする者は別に偉くは無い。ごく「普通」だ。

 

善悪を世に問うつもりは無いがみっともない考えが大手を振って

世に憚っていくのは・・・なんともつまらん限りだ。

マキシマム・ツー、かなり久々に更新

先日に予告していた通り、マキシマム・ツーのアップデートを行ないました。

内部的にはかなり進んでいるのですが、デモ版で触れる範囲だと見た目が

多少変わったかなくらいの違いしかないかもしれません。

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変更点は日本語版のreadme内にチェンジログがあるので詳しく知りたい方は

そちらをチェックして戴きたいのですが・・・まあ以前からやりたかった事は

おおよそやっておきました。

 

面白い変更点を幾つかピックアップすると・・・先ず、大口径対艦ビーム砲

(5面以降で稀に登場)がプレイヤーだけでなく敵キャラも巻き込みます。

これで特に有利になるとか言う事は無いのですが、敵味方関係なしなのかと、

より戦争の怖さを感じる事が出来るのではないかと思います。

 

このビーム砲は前作マキシマム2010に登場する「流星弾」と言う攻撃を

再解釈したものとなっています。

 

画面外から突如襲い来る閃光は自軍艦隊に大ダメージをもたらします。

・・・なので安易に回避せずにセイバーで受け止める必要があります。

Gレコ終盤のベルリの気分が味わえる・・・かも。

 

もう一つ、同じ様なアクシデントとして「小惑星」があるのですが

これも旧バージョンとは性質が変わり、敵と敵弾を巻き込む様に

なりました。

 

小惑星は破壊不可ですがマキシスマッシャーで減速させる事が可能です。

こちらは艦隊へのダメージは無かった・・・(と思う)ですかね。

 

マキシマム・ツーは普通のアーケードタイプのシューティングゲームとは

プレイフィールこそ大差は無いですがそこにある体験の質はまるで違います。

 

プレイヤーは伝説の勇者でも歴戦の勇士でもなく、一兵士に過ぎません。

「戦争」と言う大局に飲み込まれ、そこでどう振舞うのかを試されます。

 

俺Tueeeeとか中二病みたいな「先に気付いて包んでくれる様な優しさ」は無く

自分で切り開いていく切り口がギザギザの人生が実際当たり前なのだと

そんなメッセージが込められているのです。

 

ゲームオーバーと同時に世界は消えて無くなったりはしない。

僕が、君が死んだって、世界は明日も続いていく。

権力者や人気者にプクプクと富を集めても僕らの世界は変わらない。

 

だから頑張れとかもっと努力しろとか、そんな事はどうでもいい。

人間なんてちっぽけだぞと、大統領だろうとホームレスだろうと

遅かれ早かれ人は"死"と言う結末を等しく享受される。

 

勝つ事になんて意味は無い。生まれた事が人の意味。

だから死んでいないのならば生きよと。

 

だいぶ話がズレたけれど、まあ今回はここまで。眠いし。

 

アップデートされたマキシマム・ツー、シャケラケ又はitch.io

ダウンロードできますので、是非遊んでみてくださいね!!

やったー超能力

ゲームは面白い・・・と言うのは漠然としすぎている。

 

もう少し詰めて身もフタも無い言い方をすれば

「面白いゲームは面白い」「面白くないゲームは面白くない」

 

・・・つまり面白いものと面白くないものとがある。

 

しかし多くの人は「ゲームは面白い」と言う事すら多分知らない。

ゲームとは「物語やキャラクターを楽しむ事を阻害するただの足枷」

としか感じていないかもしれないのだ。

 

時折「ゲームなんてただの暇つぶし」なんてフレーズを聞く事がある。

暇つぶしなんてしなくてもよい物の代表だ。

何故ならば多くの人は生きる事に精一杯で暇など持て余してはいない。

 

暇をつぶす為に何かくだらない事をして遊ぼう・・・などと言う考えが

あったればこそ、「ゲームなんてただの暇つぶし」の様な言葉が出るのだ。

つまり腹の底では「ゲームなんてつまらない」と思っているのだ。

 

「あなたの好きなゲームの何処が良かったですか?」なんて質問があったとする。

きっとかなりの割合で「グラフィックスの美しさ」や「キャラクターが好き」

なんて回答が返って来るだろう。

 

「ボタンを押したら"わーっ"てなるのが楽しい」なんて答えは返らない。

 

面白いゲームは遊べば判る(遊ばなくてもある程度は判ってしまうけど)。

けれど・・・その面白さの成分の多くは言語化が困難だ。

 

面白いと感じていてもそれを表す時に使う言葉が見つからず、

「グラフィックスが美しい」や「キャラクターが好き」などとしか

答えられない人も居る事だろう。

 

結果としてゲームの面白さは無視される。

・・・その事を語っても多くの場合共感を得られないからだ。

 

そこに付け込んだ共感だけを集められるコンテンツが世に蔓延る。

 

未来には面白さが判る事は超能力にも匹敵するスーパースキルと

なっているのかもしれない。

最近のゲーム開発

ちょこちょこと。

 

MD仮題は・・・今は爆発の炎をちまちまちまちまと描いている。

ここにこだわるクリエイターはあまりいないと思う。

でも自分は炎が決まらなければゲームも決まらないと思っている。

人の命が燃えて消える。

 

その最後の一瞬の輝きを描かなければ自分の弾丸で倒れた敵兵の

魂も浮かばれない。

 

シューティングゲームを「旅」だと称する人もいる。

最初にその言を聞いたのはファミ通の紙面だったと記憶している。

・・・確か20年近く昔の事だと思う。

 

そう言う考えやゲームとの付き合い方もあるだろうしあっていい。

でも自分にとってのシューティングは「戦い」そのものなので

相手の命を奪うところまで含めて、シューティングゲームなのだ。

 

弱いものを一方的に蹂躙するのではなく、強いふうの戦っているふうが

美しく台詞とポーズをキメて後に互いに着替えて電車で帰るのでもなく、

生きるか死ぬかの戦いの後に・・・生きたり死んだりしたいのだ。

 

爆発の炎は残らない。燃えて掻き消える。

旅では無いから思い出には残らない。だからまたあの炎を見たいのだ。

 

・・・などと書くと放火魔みたいだが、まあ根の部分は同じかもしれない。

違いは放火魔なら火をつけて逃げて野次馬に紛れ遠巻きにそれを眺めるが

自分のような人間は火をつけないし逃げないし眺めない。

 

(ゲームの中では)プロとして仕事として、敵と戦いたいからだ。

そう言う意味ではただの縦・横にスクロールするだけのシューティング

ゲームも自分にとってはロールプレイングなのである。

 

だからこそ、その世界に浸りこむ為に細やかな演出を大事にしたい。

毎回毎回新しいゲームを作るたびに同じような事を書いているけれど

これが自分の創作の根幹だからなのだ・・・と思う。

 

最近マキシマム2に対してコメントを戴いた。

あれを楽しんでくれる人もいるのだと勇気を貰った。

 

そう言えばitch.ioにあるデモは旧バージョンであった・・・と言う事で

マキシマム2のデモもそろそろ全面的にバージョンアップしようと考え、

こちらも現在ドット絵や細部の修正を行なっている。

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前から気になっていた2面のボスの攻撃の修正は終わり、5面と6面の

ボスに手を付けようかと言う段階。デモ版では戦えないけど。

 

レガシスウェアのゲームはどれも面白い。けれど旅でもごっこでもなく、

身を持っての体験だから踏み込むのには覚悟がいる。

 

そんな事も踏まえ開発者的には「気軽に触ってみてね」とは言いづらい。

けれど気軽に触ってみて欲しい。

 

人生って・・・覚悟する猶予も普通は無いし、

気が付けば巻き込まれているものだから躊躇するな・・・とね。

2022年あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

レガシスウェアは2022年も更なる飛翔を遂げるべく

翼の筋肉を鍛えてまいります。

 

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2021年ゲーム制作振り返り

とは言え、結局進展無し。

 

今年は「ゴッチャサッカー」と「ミキウォーズ・ファイナル」、

あと「オー・ワールド」の完全版の3本を公開出来たのだけれど・・・

メインのプロジェクトには結局表立った進捗は無かった。

 

楽しみにしてくれている方々には本当に申し訳ないなと思う。

「DG(仮題)」や「BtUB(仮題)」などは既に動き出している様な

仄めかしをしながら、結局続報も無く有耶無耶にしてしまっている。

 

本当に作るか作らないかは一度はっきりさせておくべきだと思う。

先ず、「DG」は当面開発再開しないと思う。

 

「MD仮題」でも「DG」の2大要素の一つ、シールドのアイデアを使っていて

しかも「DG」のものよりも使い勝手が良いので、正直「DG」への情熱は

冷えてしまっている。「DG」を再開する為には全く新しいアイデア

必要となる。

 

「BtUB」は元々小スケールのゲームでジャンルも自分が挑戦して来ていない

タイプのものなので、こちらは手が開いている時にでも進めたいと

思っている。

 

以前デモ版を公開して以降、何の動きもない「やっつけ!ワルイルス」は

今の世界情勢では企画として相応しいとは思えないので、COVID19の

感染が収束した時にもう一度エンジンをかけ直したいと思う。

 

「マキシマム2」は「MD仮題」が終わったら、又はある程度見通しが

立ったら再開したい。

 

「忍者むん」はまだ何も始まっていないので特にコメントも無いのだけれど

新プロジェクトとして発表している以上、定期的に情報を出す義務と言うか

責任はあると思う。これも「MD仮題」が終わったら開始されるだろう。

 

3分ゲーにも新作ミニゲームを投入したいけれど・・・2022年は難しい

かもしれない。余裕があれば簡単なゲームを数日で作って参加したい。

 

来年は「MD仮題」の発表が出来れば良いと思う。

このゲームは価格1000円程度でSTEAMでのリリースを目指している。

現状セルフパブリッシングには難があるので先ずはデモ版を公開し

イベント等に出品して、その流れでパブリッシャーが見付かれば

一番ありがたいのだが・・・さて果たしてどうなる事やら。

 

では皆さん、来年も良いお年を。

当ブログは正月明けに更新再開の予定です。

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MD仮題