カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

Maximum2 マキシマム・ツー、あとマキシマム2

夏の暑さにぴえん超えてぱいろまんしー。

モチベーションは低下していても制作はじりじり続いていく。

 

マキシマム2はかなり少しずつ少しずつ、完成に近づいている。

残り工程における肝心の部分は後回しにしつつも進めてはいる。

 

まあ仕方が無い。こんな情勢の中、気持ちよくゲーム開発など

出来るはずもない。おまけにこの猛暑。

 

ネット上で他の方のゲームの進捗報告などよく目にするのだが、

羨ましい限り。

 

見栄えも、話題性も、ユーザーの反応も、まずまずと言ったところで

自分のゲームとは大違い。

 

まあ仕方が無い。目指している方向がまるで違うのだから無理もない。

険しい山道を誰ともすれ違わず、脂汗を流しながらひたすらの行軍だ。

花も無ければ歌も無い。それでも目的地目指し、進まねばならぬ。

 

自分がゲームに求める体験はざっくり言って『敵を殺す事』。

この場合の敵は強過ぎても駄目だし弱過ぎても駄目だ。

丁度いい強さの敵と殺したり殺されたりの真剣勝負をしたいのだ。

 

けれど、そう言うゲームはあまり無い。

多くのゲームでは開始時は弱いがアップグレードが整う中盤以降は

負ける要素が無かったりする。そうなると戦闘は足止めに過ぎず、

楽しみはイベントなどを見る事に集約される。

 

難しさを売りとするゲームもあるが難しさを面白さに結びつけるのは

言うほど簡単ではない。進行と共にただただ耐久力が高くなるだけの敵と

延々戦い続けていても楽しくはない。被弾=即死のスリルもあまりに頻繁に

訪れるのであれば単なるストレスでしかない。

 

ここだけを説けば賛同してくれる方も多いだろう。

でも、『戦闘を楽しむ』と言う事に関しては納得してくれる人は

少数なのではないか?

 

多くの人は戦闘の後の艶めいた『ご褒美』に期待している。

だから敵を殺す事自体が『ご褒美』だと言われても首を縦に振っては

くれないだろう。

 

だったらまあ仕方が無い。人気の無い道をこれからも進んでいくしかない。

 

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色々と変更点はあるが目に見えて大きく異なる部分は無い。

隠語は不意に湧き出づる

先日セガの公式放送で失言があり、注目のワードとしてネット上を

飛び交っていたのだが・・・自分は全く知らない言葉だった。

 

元をただせば、とあるネット絵描き(自分はその人の事を知らない)が

自虐的に描いた台詞付きの自画像を投稿した事から、その言葉は生まれ、

「そこに来ていた者の9割はこのイラストの様な顔つきだった」と言う

体験談により、それは揶揄する言葉として用いられるようになったと言う。

 

つまり元々は他者を貶めて言う蔑称ではなかったのだ。

(主に「解る俺もだよ」の様な共感を表して使われていたようだ)

 

その投稿がされてから数年が経過してまた別の人間により発掘された時に

他者をからかう言葉として面白おかしく引用され、外に広まったらしい。

 

ただ・・・自分は聞いた事が無かった。

そこまで深くネットに身を置いていなかったと言うのもあるが、

今回の騒動でその様な言い回しを、その意味も含めて初めて知ったのだ。

 

若い人達の間では良く使われる言葉だったのだろうか?

その言葉が蔑称だと言われてピンと来なかったしセガの放送でも

その方もよくそんな言葉を知っていたものだと、そんな印象を受けた。

 

元々誰もが知るような言葉ではなかったものが、ふと何かのきっかけで

多くの人に知られる事となる。その結果、元々はそこまでの意図を含めて

いなかった、ある意味で他愛の無いものが、とんでもなく不謹慎なもので

あるかのように拡大解釈されていく。

 

差別と言うものは『誰かによって継続的になされるもの』と言うよりは

認知される事により瞬時に『沸き出づるもの』なのかもしれない。

 

その言葉が知れ渡る事によって、今その瞬間にその差別は生まれた。

進んでいないような進んでいるような

マキシマム・ツー(以前書いたreadmeを見るとこの表記になっている)は

少しずつ少しずつ、進んでいる。

 

ただ実際目に見える変化は僅かでしかない。細かな部分がちょっと替わり、

絵が一部入れ替わり、OPTIONに新たな項目が加わり・・・とその程度。

 

その程度の事に1月ほど。体調があまり良くない時は殆ど作業をしないので

進行は以前よりも大分遅くなっている。

 

最近思うのは・・・自分に残された時間は思ったほど長くはないかなと、

そんな感じ。言うほど短くはないと思うけど言うほど長くはない。

 

マキシマム・ツーが完成してどこかのストアにページが出来て販売開始と

なるまでは何としてもここにいたい。その後は別に興味は無い。

 

これは昔からだが・・・例えば友達と一緒につるんでる時間は楽しい。

でも何かを作っている時間はその一億倍楽しい。

なのだから仕方が無い。そのための命だしそのための魂だ。

 

もし完成させられそうにないと判断した時は、出来ている部分だけでも

早期アクセスと言う形でリリースするつもりなので、お蔵入りはさせない。

 

即効性を買って無料で公開するという手も無くはないが、無価値のものを

作っているつもりはないので幾ばくかでも値段は付けていく。

 

時々「無料ゲームでも市販の作品に匹敵するクオリティのものがある、

このクオリティに金を払うのはごめんだ」みたいな事を言う人がいる。

そんな人にはこう言ってやりたい。

 

「だったらその作者に市販の作品と同じだけ払ってやれ・・・」と。

誰かの好意に甘えているだけではいけない。貢献しなければならない。

お布施などではない。対価を納めるなんて当たり前の事なのだ。

 

マキシマム・ツーは以前もこのブログで書いたように500円程度での

販売を予定している。内容量は確実に500円以上あるが市場価値を

考えるとこのくらいが妥当だろう。大衆は映像にしか関心がない。

 

ゲームも面白いしサウンドも豪華。

そう思わない人もいるだろうけれど例えばレーザーの発射音だったり

爆発音だったり、BGMに限らず全てのサウンドは時間をかけて調整し

このゲームに一番しっくり来る形に作り上げている。

 

でも「レーザーの音が凄い」なんて一度も言われた事は無い。

だったらこちらが期待するものは特にない。

 

作る事を楽しんで、魂を乗せて送り出す。目指す所はそんなとこ。

 

進んでいないような、進んでいるような、ゴールはまだかいな。

シューティングゲームとは(適当版)

過去に何度もテーマにしている『シューティングとは何か?』、

いつも読んでいるとあるブログでシューティングに関しての考察があり

灰汁浮いた脳細胞に刺激を受けたので、また少し書いてみる事にした。

 

シューティングゲーム・・・或いはSTGとも呼ばれるこのジャンルの

歴史は古く、現代においては生きた化石のような存在と言われる中で

しぶとく生き残り続けている。

 

その源流はアーケードにある。

シューティングゲームと聞けば広く世界的にはFPSやTPSを指すと思うが

これらの祖先は光線銃を用いた射撃ゲームで、ライフルなど銃を手にして

ターゲットを撃ち抜いていくタイプ。

 

オペレーションウルフやタイムクライシスバーチャコップなど

様々なメーカーから多数のタイトルがリリースされたが、どれもリニアで

コンシューマのゲームの様にフィールドを自由に進めるようなものは無い。

FPSなど現代シューターの遠い祖先ではあるものの、血の繋がりの様なものは

ほぼ無いのである。

 

アーケードでは馴染み深い縦や横スクロールの2Dシューティングゲーム

同様で、現代に様々な派生ジャンルを生みつつも取って代わる後継者は

出ておらずアーケード方式のシューティングが未だに作られ続けている。

 

アーケードゲームは複数人でプレイするものも昔からあるにはあるが、

基本的に1人で遊ぶものであり、又コンシューマーのゲームとは違い

ハードやソフトを買って遊ぶのではなく、1プレイに料金を払う・・・

遊ぶ権利を一定時間買うと言う事でレンタルにも近いサービスだ。

 

コインを投入しゲームを開始しても残機や残り時間が尽きれば

 プレイヤーは「はい終~了~!!」の掛け声と共にゲーム世界から

追い出され、留まる事は許されず必要以上に没入する事もない。

 それ故に勝とうが負けようが後腐れなく、また別のゲームに行ける。

 

ゲームセンターでプレイすると言う事自体が一つの娯楽であり、

一つのライフスタイルであり、一つのパッケージとして完結している。

 

だからこそ、アーケードに起源を持つゲームは『そこ』から離れる事が

出来ないのだ。もしアーケードの佇まいから離れれば途端にユーザーは

「そこがゲームセンターではないことに気付いてしまう」

 

シューティングゲームが時代に合わせて変わらず未だに昔のままの

ゲーム性をおおよそ維持しているのはその様な事からなのだ。

 

コンシューマーのみで発売されたシューティングゲームの中には

他のジャンルでは古くからあるユーザーフレンドリーなシステムを

取り入れたものも沢山ある。

 

それはスーパーマリオブラザーズ3のようにマップ形式でステージ毎に

挑戦出来る形式になっていたり、お金や経験値を貯めて自機を強化したり、

ゲームよりもストーリーやキャラクターを中心に楽しむことが出来たりと

多種多様なプレイヤー層に対応するよう振舞うが・・・正直そこまで

上手く機能しているようには見えない。

 

それは結局、縦スクロールにしろ横スクロールにしろ、進める方向は

決められた一方向のみだからである。

 

ゲーム自体が自由度を持たずとも遊びとして完全に成立しているが故に、

後付のシステムを組み入れ難いのである。

 

もし将棋に成長の要素があったら・・・それは既に『将棋』では無いし

駅伝で好きな区間のみを走ったとしても、それは既に駅伝ではない。

野球やサッカーで選手が試合をせずに観客にアピールばかりしていたら

どう感じるだろう?

 

他の分野では上手く取り込め、効果的にユーザーの満足度を高めてくれる

サービスであっても、それが全てのケースにおいて定石とは限らない。

伝統にそぐわないとか好き嫌いが分かれるとか、その様な話でもなく、

形の違うピースはどんなに強く押し込もうとも、綺麗に収まらないのである。

 

結局のところ、

シューティングゲームシューティングゲームでしかないのだ。

変わる必要は無い、変わらなくて良い・・・と言う意味ではなく、

靴下は手にはめなくても良いのと同じ事。

 

目的外の使用法が存在せず、世界を拡げられない。

滅ぶしかないのであれば滅ぶ。

 

誰かが細々とでも愛用し続ければ・・・惰性で続く。

 

シューティングゲームとはその様な存在なのである(適当)。

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シューティングゲームとは

 

年寄りがヒヤシンス

先日こんな感じの話題があった。

ポテトサラダを作るか買うかどっちが正義なのか・・・みたいな?

又聞きなので正確なところは判らないがスーパーで買い物をしていた

主婦が惣菜コーナーの前で目にした光景、

 

「ポテトサラダくらい自分で作ったらどうなんだ」・・・俯くなんちゃら、

大丈夫ですよと言って2パックねじ込んだ、とか何とか、そんな話である。

 

正直なぜそんな話がバズったのか、自分には良く分らない。

ポテトサラダなんて簡単に作れるから自分で作っても構わないし

スーパーで買っても別に構わない。そもそもポテサラあまり好きじゃない。

 

言わんとする事は・・・登場人物1:老人

1)子供(夫?)に愛情のこもった料理を食わせてやれ

2)買うのなんて勿体無い

 

登場人物2:目撃者

3)家事もしつつ子供(夫?)の面倒も見なきゃいけないから大変

4)料理が苦手な人だっている

5)スーパーのポテサラは美味い

 

・・・とそれぞれの思惑はザックリ恐らくこんな感じだろうか?

 

ここまで書いて正直どうでも良くなってきた。

これは勿論自分が独身男性だから理解が遠いと言うのもあるだろうが、

正直言ってバズる程のセンセーショナルさは無い。

 

スーパーの魚を買う前に食べてやったとか言うのの方がよっぽど酷い。

 

結局これがバズったのは主婦と老人・・・と言うか『高齢の男性』

その一点だろう。

 

同じ台詞を言ったのが一緒に買い物についてきた旦那だったら

絶対にこんな風に取り上げられてはいなかっただろう。

 

つまるところ「高齢の男性は迷惑な存在」と言う印象を世に広範に

ばら撒きたいのである。

 

認知症の一種で特に男性が発症しやすい、なんちゃらがどーのと言う

アレも聞いたがうんたらかんたら。

 

まあつまり、世の中も高齢者さえディスれればポテサラなんて

どうでもいいわけである。

 

ポテサラなんて・・・正直あまり好きじゃない。

マヨネーズ味の食べ物があまり好きじゃない。

 

俺の作るヨーグルトに少量のマヨネーズと粒マスタードを合わせた

ソースで作るポテトサラダは美味い。

 

でもスーパーで買ったり他所のお家で戴くマヨネーズで和えただけの

ポテサラやマカロニサラダはあまり好きじゃない。

 

なので買おうと作ろうとどうでもいいし、ましてや、他所の家庭が

ポテサラをどうしていようと知ったこっちゃない。

 

とどのつまり、ハラスメントを偶然目撃してイラっとした第三者

倍返し・・・それをシェアした人達も無関係の第三者で10倍返し。

 

見ず知らずの誰かをリモートで仮想のリングに上げてボッコボコ。

言いだしっぺの目撃者がどーのじゃなく、常に生贄を探してネットを

キョロ見している人達が恐ろしい。

 

追記:その後もこの話題をゆるく追っていたが、一人称でしか物事を

考えられない様な精神状態の人が増えているのではないかなど、感じた。

 

身勝手に正義の怒りをぶつける中高年の人達を擁護するつもりはないが

「数集まりゃ虎も狩れる」と鍬や鋤を手にするのもまた、暴力である。

win10とwin7とでは文字列を表示した時に差異がある

つい先日気が付きました。

自分の開発環境はwin7にあるのでテストプレイもwin7で行なっていたのですが

cf2.5のゲームを動作させた時にwin7(恐らくはwin9辺りまでは同じ仕様の筈)

では何の問題もなく表示できていた文字列がwin10ではサイズが変わってしまう

(サイズが大きく表示される)・・・場合がある、と言う事に。

 

どうやって修正しようか・・・win7でもwin10でも同様に文字列を表示するには

どうすればいいだろうか・・・と言うのをずっと考えていました。

 

で、1週間くらい試行錯誤して一応解決方法を見つけたのでとりあえず記事に

残しておこうかなと、そんな次第。

 

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画像にするとこれだけです。文字列の直ぐ隣に予めアクティブを置くだけ。

どう言う仕組みでフォントサイズが変わってしまうのかは自分には解りませんが

フォントサイズが変わったのか変わっていないのかを検出できれば、ひとまず

変わってしまう環境で動作している時のみ、フォントサイズを修正してやれば

良いと言う考え方をしています。

 

win7などではイベント実行中に命令でフォントを変更しても、サイズ変更で

境界線を変更しない限り文字列の表示範囲は変わらないのですが、win10では

何故かフォント変更時に境界線がリセットされてしまいます。

 

その結果想定しているテキストボックスから実際は文字がはみ出して表示

されてしまうと言う現象が発生します(他の環境でもそうなのかは未検証)。

 

なのでフォント変更時に境界線が変化したかどうかを見ればいいだけなので

位置が固定されているアクティブオブジェクトとの衝突をチェックしておいて

衝突しなければwin7、衝突していたらwin10を想定した設定にすれば良いと。

(ゲーム全体で必要となるのでフレーム開始時にフォントを変更しその結果を

グローバル変数に取っておくと良い)

 

まあこれもwindows10の仕様ないしcf2.5の仕様が変われば同様では

なくなると思いますが、少なくともwin7までのシステムでは影響を受けずに

組めるので安全性は高いと思います。

 

ただしwin10を検出した後は最適なフォントサイズをcfs2.5に指定する為に

『開発者が予め自分で調べておく』必要がありますので意外と面倒です。

 

もしかしたらエクステンション等で簡単に解決する方法があるかもしれませんが

こういった問題に出くわした時に自分で解決法を探ると言うのも醍醐味であるし

経験にもなるので面倒がらず、やってみるのが良いのではないかと。

今回はソフト開発の話なのでソフトな口調で。ではまたね。

アストロシティミニが発売となる

誰もがノーマークだったセガの新ミニハードの発表が7月8日にあった。

・・・前日に何か幻のようなものを見た気もするが、遂にその存在を

露にしたセガ60周年のアニバーサリー・イヤーのトリ(?)を務めるのは

家庭用ゲーム機ではなく、かつて日本全国のゲームセンターで稼動していた

最新の業務用ビデオゲーム筐体アストロシティを模した携帯型ゲーム機

アストロシティミニ』であった。


【アストロシティミニ】セガ・アーケードの伝説を手のひらサイズに!!僕らの青春と当時の興奮がよみがえる!|セガトイズ

 

6月には電撃的にゲームギアミクロの発表があり流石に今年はもう無いだろうと

油断していた矢先の、これである。

 

セガの最後のハードはドリームキャスト・・・いやメガドライブミニだ!!

などと盛り上がっていた去年の秋はなんだったのか・・・?

 

今のところ収録が発表されているタイトルは・・・ファンタジーゾーン

エイリアンシンドローム獣王記ゴールデンアックス、エイリアンストーム、

コラムスII、ゴールデンアックス デスアダーの復讐、タントアール、

ダークエッジ、バーチャファイター・・・の10タイトルのみである。

 

アストロシティミニには全部で36本のゲームが収録されるとの事だが

他の収録タイトルは現時点で明かされておらず、今後の発表が待たれる。

 

自分の予想だが収録されるタイトルに他社のゲームは含まれないと思うので

(家庭用ゲーム機であればプラットフォームに「参入」する必要があるが

業務用のゲーム機にはその様な契約はないのでそもそもの結びつきが薄い)

全てセガのゲームから選ばれると見ているが、現在セガが権利を持っている

コンパイルやテクノソフト、そして傘下となったアトラスのゲームに関しては

収録される可能性は高いだろう。

 

ただし、メガドライブミニではセガエイジスで発売されているものや発売が

予定されているゲームの移植版は積極的に収録されなかった事を考えれば、

セガエイジスのラインナップに含まれるゲームは収録されない可能性もある。

 

なのでサンダーフォースACやぷよぷよぷよぷよ通などは除外して、

ぷよぷよSUNやぷよぷよーん、ハイパーデュエル辺りが入るのではないか?

そしてアトラスからは豪血寺一族シリーズや首領蜂、プリクラ大作戦などが

収録されるのかもしれない(注:ぷよぷよーんにアーケード版はない)。

 

セガアーケードゲームは本数は多いがセガを代表するIPは大型筐体ものが

多く、題材がアストロシティである事を考えれば収録出来そうなビデオものは

自ずと限られてくる。

 

出来ればこれまで家庭用機に移植されなかったゲームを多数収録して欲しい。

そう言う意味ではダークエッジとデスアダーの復讐の収録は朗報である。

 

アストロシティミニは12月発売予定、価格は税別で12800円。

専用のコントロールパッドも発売予定(同じく12月発売予定、税別2780円)。

 

セガファンは続報を楽しみに待とう。