カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

熊を憎んで熊を憎まず

ニュースサイトで一瞬目に入った記事・・・人里に熊が出没した後に

「熊を殺処分した」と言う騒動の結末を報道しないで欲しい、と言う

猟友会や市の関係者からの陳情であった。

 

つい先日も何処かのショッピングセンターに入り込んだオスの熊が

殺処分されたと言うニュースがあったが、そう言った報道がされる度に

「可愛そう」「野生動物の命をみだりに奪わないで」と言う電話が

殺到するのだそうだ。

 

確かに。生きている野生の動物を人間側の都合で殺すのは可愛そうだ。

だがしかし、「可愛そう」で・・・もう十分なんじゃないか?

「可愛そう」だと胸を痛めながら命を奪えばよいのではないか?

 

人里に入り込んだ熊は畑を荒らしたり人を襲ったり、罪を犯している。

もちろんこの「罪」とは我々人間の考える一方的なものではあるが、

誰かの財産を脅かすものは人の世の道義から処罰せざるを得ない。

一方的だが因果応報である。

 

また、地球上の生物の頂点に立つのは他でもない、人間である。

人間が生物の長であるならば人間は地球の管理者として環境を整備し、

維持し、次の世代に引き継がせなければならない。その責任があるのだ。

 

人里に熊が下りてきてしまうのは人間のせいだ。元々彼らの住んでいた

山や森を切り開き、そこをなんとなくで人間の所有物へと変えた。

現代、過疎化や後継者不足で地方の山野は荒れている。

 

木を伐り足草を刈り、道を整備して手入れをして、初めてそこは「山」だ。

人が遠のき、後にそこで増えてしまった野生動物が食料を求めて下りて来る。

それは管理を止めてしまった報いだ(とは言えその地域の人の非でも無い)。

 

だから管理者たる人間はその責任を負い、人里に下りた野生動物・・・

今回は熊を処分しなければならない。

 

必ず殺すわけでは無いだろうが引き取ってくれる施設はかなり少ない。

 

山にどんぐりなどの食物がなければ、そのまま冬を越せず死んでしまう

運命だった熊が冬を越して生き延びられたのは、人間の育てた作物や

人間の捨てた生ゴミがあったから。

 

我々が作り出した生態系であるならば我々が責任を持って管理しなければ

ならない。それが生物の天下を取った人間に課せられた役目なのである。

 

熊を殺すな・・・と言いたい方はどうそ、責任を持ってご自分で

熊をお持ち帰りください。

 

猟友会の方々もご自分の職務を全うされているだけです。