カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

スコアの無いものはゲームでは無い

もしサッカーの試合でゴールを決めても得点にならなかったら・・・

90分戦い続けて「お互いよく頑張ったよね、じゃあ今日は解散」で

終わったら、どう思う?

 

各選手は素晴らしいパフォーマンスを見せ、互いに見せ場を作る。

どちらかがゴールを決め、その度に両チームの選手が抱き合って喜び

観客は歓声をあげる。

 

誰もが「良いものを見たな」と満足げにスタジアムを後にする。

そう、これはもうゲーム(試合)ではない。サッカーショーだ。

 

恐らくこんな話を聞けば多くの人は「そんな馬鹿な」「くだらないよ」

など思うだろうけれど、やがて現実となるのでは無いかとも思う。

 

ビデオゲームを見ているとそう思えてくる。

 

ゲームに得点表示があったのはアーケードの名残だ・・・近年割と

よく言われることだ。現代のゲームには相応しくない、もう必要ない、

そう結論付けされることが多い。

 

自分の作るゲームにはスコアがある。ランキングもある。

ただ、自分がゲームプレイにて常にスコアを競っているかと言うと

そうでもない。

 

大して上手くもないのだし、スコアなんてどうでもいいと言うのが

本心だ。

 

だったら無くせばいいとも思うのだが、スコアが無いと困る事がある。

・・・目的がなくなるのだ。

 

どんなに必死に戦って多くの敵を屠っても、一円にもならないならば

どこに戦う理由があろう?ゲームの世界は予定調和。

何回コンティニューしようとラスボスを倒せばエンディングを迎えられる。

結末を見ることが目的ならばザコと戦う理由は無い。

 

かっこいい主人公がただかっこよく戦う様を見たいと言う要望に素直に

応えたのが無双シリーズだとして、その無双とてゲームである以上、

ミスを重ねればゲームオーバーになる。かっこ悪い姿を見る羽目になる。

 

もっと強く、もっとかっこよく・・・の果てに待つのはショーしかない。

ショーならばそもそも目的は無くプレイヤーも存在せず、演者と観客が

ショーを介して一体となれれば良い。

 

誰も得点をあげずとも「そういうものでしょ?」としか思わない。

みんなが「いいね」出来ればそれでいい。

 

だからゲームを象徴するスコアは邪魔者扱いされる。

スコアが存在する事で上下や勝者・敗者が生まれ、どこかで対立や

妬み・憎しみを生む。

 

みんなが活躍したいよね。これからはみんなが主役の時代だよ!!

 

こうしてゲームからスコアは無くなった。

目的も無く、美しいキャラクターと凄い映像を見るのが君達の使命だ。

 

これが未来のゲームだ。

急に昔の事を思い出した

思い出し話。

 

以前在籍していた職場にはグレーゾーンとかそう言う感じでは無い

発達障害の方が数名バイトに居て、その方達と一緒に作業をするに

辺り様々な苦労があったりした。

 

その方達に共通していたのは「分からない時は人の真似をする」

事だった。

 

例えば、俺が周囲の状況や進行を見ながら今の作業をこなしつつ

先んじて次の作業の準備を始めると・・・その方達は自分の持ち場を

離れて俺の真似を始めてしまう。

 

「ここは俺一人でいいんで自分の持ち場に戻って!!」と言っても

こちらの動きに気付くと毎回同じ事をする。

 

ここから判る事は、その人達は「今は何をする時間なのか」を

理解出来ていないと言う事だろう。

(幼い子供が親の真似をして学習するのと同じ行動とも言える)

 

仕事自体もさして出来ているわけでも無いし、入って1ヶ月経つか

経たないか程度ならば、まだまだ分からない事も多くて当然。

 

なのに「どうしたらいいですか?」と聞きに来る方はほぼ居なかった。

何故かと言うと・・・

 

分からない事があるのに教わろうとしない=分らないという状態が

怖くない。

 

聞かずに一先ず他者の真似をして乗り切ろうとする=分ってないと

悟られたくない。

 

聞く事を避ける=分ってない事がばれると怒られると思っている、

怒られるのが嫌。

 

・・・と、まあこんな理由だろうと思う。

分らない事がある状況を不安に感じずに誰かに怒られる事を恐れる。

 

そう言った方達は結局辞めさせられた。一見すると真面目で温厚で、

働き手として良さそうにも思える。

(その様な方達の多くは半年間は見習い扱いとして雇われていた)

 

しかしいざ仕事を与えると上手く出来ない。

そう言う方が複数の事を同時に処理出来ないみたいな話はよく聞く。

自分が見た中では一つの事もあまり出来てないケースが殆どだった。

 

その人達がその後どうなったのか、自分は知らない。

 

一つ言えるのは、誰かの真似をするには

当然「その誰かと同等かそれ以上」の能力が必要になると言う事で、

真似をすれば誤魔化せる・・・と考えてしまう事自体状況を理解

出来ていないと言う証拠なのだろうな、など思ったりした。

 

まあ今となっては昔の事です。

魅力的な国、奪われたくないよね。

なんだか世界が焦げ臭くなってきた。そんな折何処かからか

暴力は良くない、同じ人間なのだから話し合えば分かり合える、

だから武器を下ろして今一度冷静になって・・・

 

などと言う声が聞こえてくる。

 

既に100人を優に超える犠牲が出ていて拉致された人も居る中で、

暴力はいけないとか言える状況だろうか?

 

誰かが地道に護って来たからこそ、今までの平和は維持されてきた。

護るのが面倒になり、金をケチり、自国第一主義を唱えた辺りから

裏で枠組みを壊したくて仕方がなかった連中が活気付き始めた。

 

その間に淡々と準備を進め、邪魔者を取り除き、無法者を手なずけて、

そして今、続々と火を噴いている。

 

解決する方法があるとすれば、「どれか一つ」を速やかに鎮火し、

その上で「金もかかるしお互い余計な怪我もしたくないだろう?

世界中が火の海になっても結局どっちも得しないんだぜ・・・」と

指導者らに手を引くよう諭すくらいしかないだろう。

 

僕らの国は僕らの祖先が護ってきた。護られなかったら今日は無い。

「戦争になったら真っ先に逃げる」など考える人達はどこに逃げる?

 

日本以上に秩序が維持されている国なんて他には無い。

どこに行ってもやがては悪夢が待っている。

 

僕らの国は僕らが護らねば。だってこんな魅力的な国は他にない。

自分の身を守ることも大事だけれど自分達の国を護る事も大事なんだ。

 

寿司もラーメンも富士山もアニメも漫画もゲームも、護ってきたから

今がある。

 

「あげますあげます、だから命だけは助けて!!」

そんな言葉を聞いてくれるのは法と秩序が守られた国だけです。

v0.98b公開中です。

3分ゲーコンテストにも参加させて頂いたドラフトエンゼル、

フリーゲーム夢現さん及びふりーむ!さんにてv0.98bを

公開しております。

 

ゲーム的にはこれでほぼ完了、あとはネーム入れのバグ修正と

クリア時のちょっとした会話みたいなものを入れれば終了です。

 

ドラフトエンゼル、自分で言うのもなんだけど面白いですよ。

 

部品のオリジナリティーはそんなにないけどこの組み合わせは

あまり無かったと思うし、繰り返し何度も遊びたくなるし。

 

ただそんなにダウンロードはされていないです。

こんな時界隈だと宣伝不足・努力不足みたいな結論になりがち

ですが、全1面のミニゲームってだけで舐められてるって側面も

あるのかもなと思っています。

 

シューティングって比較的作るのが簡単で、専用のツールや

有志の公開するテンプレートなども充実していて、「作りかけた」

経験のある人も相当いて、想像ですが恐らく

 

「このくらいの規模なら俺も作った事がある」みたいな対抗心を

持たれてるなんて事も多少はあるのではないかと。

 

まあ多くは「シューティングは旅」だったり、「キャラや演出」を

楽しみたいとか・・・ドラフトエンゼルにはそれが無いってだけの

話なんだろうけども。

 

遊んで面白いと思ってくれた人が情報をシェアしてくれれば良いし

そう言う話を聞いた人が積極的に落としに来てくれれば良いのだけど

まあそんな事は稀ですね。

 

「早く正式なプロジェクトを持ってきて表に出て勝負しろ」

・・・みたいなエールを静かに送られてるのかもしれないけれど

自分的には、面白いと直感したら先ずそれを口に出してしまえよと

そんな感想しかないですね。最近やさぐれてるので。

 

まだ遊んでいない方、宜しければダウンロードしてみてくださいね。

 

 

 

で、肝心の残り工程ですが・・・直接ゲーム性に関わる部分では

ないのでモチベーションを作り難いと言う事があって進まないです。

 

ver1.0までは開発続けますが既に興味が他に行きつつあると言う事も

伝えておきたいかな。投げ出しはしないけど。まあ頑張ります。

 

最後に、Tatu-o氏の『POINTING』での超攻撃的プレイがカッコ良かったので

ここに紹介させて頂きたい。

毎度動画の投稿及びプレイの追求ありがとうございます。作者冥利に尽きます。

狙われるブランドちから

日本のブランドを大切にしよう。

自国で生まれた文化を大切にしよう。

 

海外の文化やブランドにも良いものは沢山ある。

ただ、「どっちが上か」の議論はこの際いらない。

 

大切にしようよ。

長く愛されて来て品質も確かなものならば尚更です。

 

「時代にそぐわないし変わらなきゃいけない」

みたいな話があったとしても「粗末にしていい」なんて

誰も言っていないはず。

 

なのに何故だか口を揃えて「駄目だ駄目だ」と言う訳です。

自分達の国の生んだブランドなのに捨てさせようとする訳です。

 

日本の心に傷を付けたいと願うのは日本人の総意でしょうか?

・・・例えそうだったとしても大切にして欲しい。

 

呼び名が変わったとしてもそれは日本の宝でもあるのだから。

世界と渡り合える貴重な力にも成り得るのだから。

遊ぶ為の作法ををば。

ゲームがさほど上手では無い自分が言っても説得力が無いかも

しれないが、シューティングゲームには『面白くする為の作法』

がある。

 

どんなに難しくても、この作法を心得ているゲームなら

何度やられても又チャレンジしたい気持ちになれる。

 

しかしそうでないゲームは例え難易度が低くても、もっと先を

見たいと言うような気分には到底ならない。

 

それは、描き込まれたグラフィックスでも素晴らしいBGMでも

オタク心をくすぐる演出でも無い。

 

『ゲームメカニクスとステージや敵配置との相性』だ。

 

もう少し詳しく言えばプレイヤーの攻撃手段及び防御手段と

プレイヤーの邪魔をしてくる敵や地形などがかみ合っているか

どうかと言う事である。

 

プレイヤーの邪魔をする地形や障害物が何も無い場所で一番

役に立つのは扇状に弾丸を発射する、所謂ワイドショット系だ。

逆に狭所で役立つのは正面に速射するものや地形に沿って進む

もの、或いは爆風で巻き込むスプレッド系などだろう。

 

地形の無い場所で地形に沿う武器があっても意味が無いし

狭い場所でワイド系の武器を持っていても活躍出来そうにない。

 

つまり、場面場面で役に立つ武器やアクションが用意されていれば

プレイヤーにとって有利だし、その逆も然り・・・と言う事だ。

 

普通に考えれば、複数の武器やアクションが用意されていれば

各場面で役に立つ武器がある筈だと思うのだが、ゲームによっては

それがそうでもなかったりするのだ。

 

特定の場面で強い武器が入手出来ればプレイヤーは有利になるので、

容易に先に進ませたくないと考える開発者はわざと相性の良い武器を

その面では取得させなかったりする。

 

そう言うものは時にゲーム設計においては必要な場合もあるのだが、

そもそもそのシ-ンに有利な武器やアクションが無い事もある。

 

これを開発者の意地悪と単純に言い放つのも早計、そもそもゲームの

面白さがどこからやってくるのか、その作法を理解していないからだ

・・・と言う可能性も考えられるのだ。

 

面白いゲームでは、武器やアクションを「上手く使う」事で難所を

スムーズに抜けられる。つまり解法は用意されているしプレイヤーが

工夫をする余地も残されている。

 

これがゲームにおける『遊び』なのだ。

 

面白くないと感じるゲームにはそれが無いかもしれない。

工夫しようにも使える武器やアクションは極端に限られているし、

そもそも敵の配置や攻撃もデタラメで明確な解法も無かったりする。

(ここで言う"デタラメ"とはランダム配置の事では無い)

これでは遊ぶ余地も無い。

 

面白くする作法とはプレイヤーへの接待とも言える様な過剰な

演出サービスではなく、プレイヤーを遊ばせる為の10手先の気配り

なのではないだろうか・・・など思う。

何でも出来るゲーム

いつかポリゴンを扱えるようなになったら作りたいゲームがあった。

それが「何でも出来るゲーム」。

 

プレイステーションセガサターンが発売された当時、CDのゲーム機に

抵抗のあった自分は一先ずスルーしていて、ポリゴン時代に乗り遅れ、

2Dのゲームしか知らぬまま(スタークルーザーとかは一先ず置いといて)

自分はもう二度とゲーム機は買わないだろうと思っていたのだが・・・

 

 

ふとしたきっかけでニンテンドー64を購入する事となり、話題作だし

せっかくだからやってみるかと何の期待もなく店頭で手にしたのが

ゼルダの伝説 時のオカリナ』であった。

 

このゲームに出会ってなかったら、再びゲームに魅了される事は

無かっただろう。ゲームをプレイしていて、あんなにも没入感を

感じたのはそれが初めてだった。

 

「もし自分がこんな3Dのゲームを作るとしたら・・・」

 

かつて、授業中のノートにゲームのマップやキャラクターを

落書きしながらゲームを作っている気分に浸っていた頃の自分を

思い出す。

 

あの頃はパソコンも持っていなくて、それどころかプログラムの

知識もなく、数学も苦手でゲームを作る事など夢のまた夢だったが、

ま・・・夢見るのは自由だ。

 

時のオカリナメタルギアソリッドなど、ポリゴンのゲームを知り、

大人になってから作ってみたいと夢見たのは何でも出来るゲーム。

 

プレイヤーはテロリストの支配する孤島に単身潜入し、捕虜救出と

テロリストの壊滅を目指す・・・と言うもの。

 

時にメタルギアの様に隠れ、ゼルダの様に仕掛けを解き、戦闘し、

素材を拾い集めて橋を架けたり梯子を作ったり、敵の車両やヘリを

奪って操縦したり、金を握らせて交渉したり・・・そう言う

思いつく限りの事が出来るゲームを脳裏に思い描いていたのだが、

今はそう言う思いは消えてしまった。

 

ティアキンがモロそれじゃん・・・と言う気持ちにさせられたからだ。

勿論ティアキンやブレワイ以前にGTAなどでそう言ったものは実現されて

いたが、複雑な操作やゲームシステムの理解が不用で誰でも直ぐに

遊べる・・・と言ったようなものは殆ど無くて、いつか機会があれば

何でも出来るゲームを作ってみたかったが、熱は冷めてしまった。

 

2Dのゲームならばアイデアは幾らでも出るが、敢えて3Dでなければ

実現出来ないようなものは残念ながら全然思い付かない。

 

昨今のゲームって『何を題材にしたか』が唯一注目を集めてるだけな

気がする。3Dになった事で「新たにこんな事が出来るようになった」

と言うような驚きも今は感じられない。

 

映像のリッチさとその時代の空気を上手く掴んだ「題材」で話題を

かっさらう商売・・・それがゲームだと言われて、自分は納得しない。

 

そう言う意味ではティアキンは本当に凄いゲームだった。

これを見てまだポリゴンで「何でも出来るゲーム」が作りたいなんて、

おいそれとは言えないよ・・・。

 

自分はこれからも2Dのゲームを作り続けると思う。

でも、「3Dでなければ実現出来ないアイデア」が思い浮かべば、

きっとまたノートに落書きしてしまうのだろうな・・・。