カベジマ研究所2

Legasyswareのゲーム開発と日常をゆるく適当に綴っていくブログ

美味しい食べ物は好きか?

エスコルホーズ


とにかく、何も食べずに生きられる生物なんておよそ存在しないし
何十年も食べずにいて、それでも死なない生物はいるかもしれないけれど
何も食べずにいて(経口摂取以外の方法も含む)生きていられる人間なんて
いやしない。


だから生きているのなら誰しもおおよそ毎日何かを口にしているだろうし
どうせ食べるならば美味しくないよりは美味しい方が好きに決まっている。


経済的理由から世間一般的に言われる美味しいものを
食べることが出来なくてもそれでも美味しいものが食べたいと思うはず。


だから何を美味しいと思うかはともかく美味しいものは皆好きだ。


世の中にはもしかしたら美味しいものが嫌いな人もいるかもしれないが
その理由はきっと味に起因するものではないだろう。


食べ物を扱うならば、それが美味しそうに見えなければならない。
もちろん食べ物が不味そうに見えることが必要な場面もあるだろうけれど
美味しそうな食べ物を見て不快になる人は先ずいない。


自分は小説にしても映画にしても、或いはアニメや漫画にしても
食べ物の描写が良くない作品は好きではない。


漫画などで「さあ今日はご馳走だぞ!」などと一家の主が誇らしく話し、
そしてそのテーブルの上に置かれている皿の上の食べ物が
まるで色の付いたゴムボールのようなものだったらどう感じるだろう?


どんなに物語やキャラクターが魅力的であってもそう言った背景小物を
軽んじている作品には興を削がれる。


作画の悪さでゴムボールのように見えるけど作中ではあれはご馳走で・・・
などという言い訳はしないでほしい。


食べるということは生きること、今を生きていることに直結する。
だから食べ物を軽視すると言うことは、それはつまり人の生を軽視するも同然。


食べ物が登場するならばそこに何らかの演出意図を持たぬ限り
美味しそうに描き出さなければならないし、それをしないのは愚の骨頂。


不味そうなラーメンを美味しい美味しいと涙を流しながらすする、
例えばそんなシーンがあったとしても、作中、きっと食べてる本人は
心の底から美味しいと感じているに違いないのだ。


ならばビジュアル的に美味しそうに見えずともその感情は伝わるはず。
『美味しい』の描き方・見せ方は一つではない。


食べ物の扱いが上手い作品には良作が多い。
それは・・・美味しそうに描くためには、或いは意図的に不味そうに描くためには、
製作者達に食べ物に対する真剣な思いがなければ成しえないからだ。


どこか一つでも手を抜き、こんな物でよいだろうと考えるものが真っ先に
手を抜くのはシナリオに必須ではないシーン。


だから食べ物が美味しそうに見えると言うことは何らかの試金石ともなりうる。
決して侮るなかれ。


美味しい食べ物は好きか?


それを描き出すことが想像を遥かに超える手間がかかるとしても、
美味しい食べ物は好きか?


エスオフコース。ピラフ、オムライス。